べっぴんさん|大急支店のモデルは阪急数寄屋橋店!大島の驚きの提案

 

朝ドラ『べっぴんさん』では、キアリスの大急百貨店での10日間の

委託販売の成功を受けて、大急の社長の大島が驚きの提案をすることになります。

 

それは「大急キアリスグループ」として、支店への出店です。

 

本店の委託販売は10日間の限定でしたが、支店のほうには正式にテナントとして

入ることになります。

 

これはキアリスにとっては言うまでもなく大きなビジネスチャンスですし、

大きな飛躍も期待できるものです♪

 

そしてこのあたりのエピソードは、ファミリアが阪急数寄屋橋店

出店した際の実話がベースになっています。

 

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大急支店のモデルは阪急数寄屋橋店!大島の驚きの提案

 

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昭和26年(1951年)4月にファミリアは阪急うめだ本店に出店しますが、

当初から大盛況で、阪急百貨店を代表するテナントのひとつとなっていきます。

 

これで同社の名前は一気に広がり、他の百貨店でも期間限定のイベントなどを

開催します。

 

しかし人手不足を理由に、常設店の設置はすべて断っていました。

 

やはり同社の製品はかなりの製作工程を経て製造しているので

大量生産できなかったことや販売員の接客にもかなりのこだわりが

ありましたから、なかなか2号店を開店することができなかったようです。

 

しかしその頃、阪急百貨店は東京への進出に力を入れていました。

 

昭和28年(1953年)に東京大井町に首都圏1号店を開店させ、

昭和31年(1956年)5月に数寄屋橋阪急を開店させることになりました。

 

ところが関西圏では有名百貨店として知られていましたが、

当時の首都圏での知名度は今ひとつで、「さかきゅう」と呼ぶ人さえいたほど。

 

そのため同社にとって数寄屋橋店の開店は一大イベントとなりましたが、

それゆえ有力テナントのひとつのファミリアに出店を要請したのです。

 

創業者の坂野惇子らも東京での知名度はまだまだだったので

かなり悩んだようですが、結局はお世話になっている阪急のたってからの希望

ということで常設店の東京進出を決意します。

 

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当初の計画ではファミリアの2号店は、数寄屋橋店の1階の大部分を

任せるものでした。

 

言うまでもなく百貨店の1階フロアは「顔」なので、それだけ阪急側の期待の

大きさを表していますね~

 

しかし子供服の販売には広すぎるということで、1階の東側の一角に

出店することでまとまります。

 

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(数寄屋橋店のファミリアの店内。手前左が惇子)

ファミリアのHPより出典

 

ただしオープンまでに準備期間が1週間しかなかったことから、

連日の徹夜作業となってなんとかオープンにこぎつけます。

 

またその後の数寄屋橋店の名物となったのが、ファミリアによる

ショーウインドーの装飾でした。

 

同店は銀座側に大きな3面のショーウインドーの備え付けがありましたが、

クリスマスの装飾をファミリアが担当することになりました。

 

このディスプレイに際しては、惇子や田村光子、江津子が神戸から来て、

自分たちでおこないました。

 

初年度のディスプレイはキャンドルを持った8匹のクマという

かわいらしいもの。

 

その甲斐もあってファミリアのディスプレイは好評で、

その後もクリスマスシーズンの恒例となります。

 

実は現在でもファミリアはディスプレイや店内装飾は業者に頼まずに、

すべて自分たちの手でおこなっていますが、数寄屋橋店のエピソードが

ルーツです。

 

そして惇子たちの心配もよそに数寄屋橋店のファミリアの売上も好評で、

これがもとで東京進出の足掛かりを掴むことになります。

 

このような実話がドラマのベースとなっていますが、すみれたちも

大急支店への出店の際は慌ただしいようですね。

 

すみれの活躍もかなりなものですから期待ですね♪

 

ちなみに阪急数寄屋橋店は、平成24年(2012年)8月をもって

閉店しています。

 

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