べっぴんさん|キアリスの初代社長は麻田!実話はどうだった?
朝ドラ『べっぴんさん』では、キアリスは大急百貨店の社長の大島から
法人化を勧められます。
新たに出店した大急支店も連日の好況で商売も完全に軌道に乗りましたし、
悦子や時子など関わりを持つ人たちも増えてきました。
そのためさらに大きく飛躍するには、今後は法人化して会社にしたほうが
何かと都合がいいので株式会社キアリスが誕生することになります。
その頃には紀夫も入社して経理を担当しており、復帰したすみれも
実質的なリーダーとして活躍しています。
ところがふたりはキアリスの社長就任を固辞してしまい、
何と初代社長には麻田が就任することになります。
このあたりはモデルとなったファミリアの実話をもとにしていますが、
いったいどういうことだったのでしょうか?
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キアリスの初代社長は麻田!実話はどうだった?
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まず坂野惇子らがはじめたファミリアが法人化して株式会社となったのは、
昭和25年(1950年4月)のことです。
ベビーショップモトヤを開店したのが昭和23年(1948年)12月ですから、
創業からわずか1年半くらいで会社組織に改編しています。
そして初代社長に就任したのは、靴屋の店主の元田蓮でした。
(左が元田蓮)
既にファミリアの実質的なリーダーだった惇子は社長ではなく、
専務取締役に就任しています。
このあたりの明確な理由は不明ですが、やはり女性の社会進出は
まだまだの時代でしたから、社会的な信用を考えて男性である
元田にお願いしたようです。
また惇子は何事も二番目を好む性格だったといいますから、
このあたりの影響もあったようです。
ただし元田は完全な「お飾り」で、会社の代表権は専務である
惇子が持つことになります。
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やはりファミリアの実質的な社長は彼女ということになりますね~
言うまでもなく当時は女性が会社の代表権を持つことは非常に
珍しかったです。
なおドラマの紀夫のモデルである坂野通夫は、当時はファミリアに
入社していません。
ちょうど佐々木営業部の尾上清の下で働いていた頃で、
彼がファミリアに入社するのはその2年後の昭和27年(1952年)4月です。
また他の役員は、常務取締役に川村睦夫が就任し、田村光子
(一部明美のモデル)と江津子(良子のモデル)が取締役になり、
光子の夫の田村陽が監査役に就任しています。
川村は同じ元町商店街で婦人服店を経営しており、ファミリアが
独立店舗を構えた際には商品が足りなかったことから、
店の3分の1を川村の婦人服で埋めてもらった縁がありました。
ただし常務と言っても元田と同じように形式的なもので、
実際にファミリアの経営に関与することはなかったようです。
このような実話が下敷きにあるので、ドラマでも麻田が
株式会社キアリスの初代社長に就任することになります。
ちなみに史実の元田は昭和31年(1956年)に社長を辞任しますが、
その後は取締役、監査役を歴任し生涯ファミリアに関わることになります。
そのためドラマの麻田もすみれたちとは終生の付き合いになりそうですね。
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