べっぴんさん|五十八の死や最後はいつ?病気や死因はなに?
朝ドラ『べっぴんさん』も物語は半分くらいに差しかかりましたが、
そろそろ気になってくるのが主要キャストの死や最後です。
その中でももっとも気になるのがすみれの父の五十八です。
現在は近江坂東家に隠居してしまいましたが、ここぞという時には
潔や紀夫に的確な助言をして存在感を発揮しています。
特に紀夫は仕事がうまくいかなくて心が折れていた時に、
五十八の言葉を聞いて持ち直しました♪
そんな五十八の死や最後はいつなのでしょうか?
モデルとなっている佐々木八十八の生涯からひも解いてみました。
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五十八の死や最後はいつ?病気や死因はなに?
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ドラマの坂東五十八のモデルとなっている佐々木八十八は、
昭和32年(1957年)に83歳で亡くなっています。
終戦後はおもに郷里の京都で隠居していましたが、ドラマと同じように
ここという場面では、すみれのモデルの坂野惇子や潔のモデルの尾上清らに
アドバイスを送っていたようです。
惇子にとっても愛情をたっぷりと注いで育ててくれた八十八はかけがいのない
存在でしたし、商売の師でもありました。
八十八はその年に病気で倒れたのですが、病名などは不明です。
もう80を過ぎるほどの高齢ですから、風邪などをこじらせて倒れて
しまってもおかしくない年齢です。
そして惇子は必死に看病しました。
当時の彼女はファミリアの代表として多忙な毎日を送っていましたが、
会社の仕事を終えて自宅に戻り、夫と娘の食事を用意すると、
最終電車で京都に向かいます。
その足で八十八の家に向かい、義理の姉と交代で朝の6時くらいまで
八十八の看病を続けました。
その後3時間くらい仮眠して、会社に向かうという毎日だった
と言いますから驚きです。
いかに彼女が父親を慕っていたかが如実に表れているエピソードですね♪
しかし看病の甲斐もなく、同年の9月19日に八十八は亡くなってしまいます
(死因は不明です)。
惇子が39歳の頃でした。
ところで八十八の臨終の際には、ちょっとした逸話があります。
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その場には惇子や尾上清が立ち会っていましたが、八十八は意識が
もうろうとしながらも「かまどの火が燃えている。早く蓋を閉めなさい」
という言葉を繰り返しました。
当時の佐々木家にはかまどがありませんでしたが、あまりに「閉めろ」
という言葉を繰り返しましたので、惇子が「蓋を閉めてきました」と言ったら
八十八は安心して永眠しました。
後日、八十八の火葬の際に棺桶をかまどに入れたところ、火が燃えだしている
にも関わらず、蓋が閉まらないというハプニングが生じました。
何とか数人がかりで蓋をしめたものの、そこに居合わせた惇子や尾上は
さぞ驚いたことです。
このように八十八の最後には、まるで「世にも奇妙な物語」のような
逸話が残っています。
ちなみにドラマで早逝したはな(菅野美穂)のモデルの倆子は当時は健在で、
亡くなるのは昭和43年(1968年)です。
ドラマでは1月上旬に舞台は一気に昭和30年代へと移ります。
史実に鑑みれば、そろそろ五十八の余命も長くはなさそうですね。
今のうちに彼の雄姿を焼きつけておきましょう!
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