レナウンの凋落と落日!名門アパレルの現在は中国企業の傘下に!
朝ドラ『べっぴんさん』で、野上潔(高良健吾)率いるオライオンの
モデルとなっているのが名門アパレルメーカーのレナウンです。
前身の佐々木営業部は戦時中にいったん消滅してしまいましたが、
潔のモデルとなっている尾上清が昭和22年(1947年)7月に
19万5000円の資本金で再興。
その後はいち早くの全国展開やマスメディア戦略も的中し、
日本を代表するアパレルメーカーへと成長を遂げていきます。
また紳士物のブランドの「ダーバン」や昭和44年(1969年)より
売り出した「アーノルドパーマー」などのブランドも大反響を得て、
昭和49年(1974年)には年商も1000億円を突破します。
尾上は昭和63年(1988年)2月に76歳で逝去しますが、当時のグループの
売上の合計は4000億円で従業員数も2万2000人と一大企業体と
なっていました。
そのためバブル期には「世界一のアパレルメーカー」と呼ばれるほどの
隆盛を誇りました。
そんなレナウンでしたが、バブルの崩壊とともに業績は悪化の一途を辿って、
平成22年(2010年)には中国企業の山東如意科技集団有限公司の資本提携を受けて、
平成25年(2013年)には連結子会社となってしまいました。
なぜ名門レナウンはこのような運命を辿ったのでしょうか?
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レナウンの凋落と落日!名門の現在は中国企業の傘下に!
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レナウンの業績の悪化には複数の原因が挙げられていますが、
まず挙げられるのが1970年代後半からはじまったDCブランドの台頭です。
イッセイミヤケやMEN’SBIGI、コムデギャルソンなどの独創的なDCブランドは
徐々に若者たちの心を掴んでいき、1980年代後半にはレナウンなどの定番商品のみの
ブランドを凌駕していきます。
未曾有の好景気だったバブルの影響もあって当時のレナウンの売上は伸びていますが、
この時期あたりから看板ブランドの「ダーバン」や「アーノルドパーマー」などの
ブランド力の低下が進んでいました。
また百貨店やデパートでの販売にこだわり過ぎて、その転換も遅きに失したことも
大きな打撃になりました。
バブル崩壊後は百貨店の集客力自体が低下していきましたし、その割には高い
テナント料を支払わねばならなかったので、これらも売上を圧迫していきます。
またレナウンはあくまでも百貨店で販売する高品質の製品を念頭に置いていたので、
現在では当たり前になっている海外生産にも消極的で、MADE IN JAPANに
こだわったのもコストを増加させてしまいます。
さらに平成2年(1990年)におこなったイギリスの名門ブランド
「アクアスキュータム」の買収も完全に失敗に終わり、大打撃を与えます。
バブル期には前述の「アーノルドパーマー」や他社が手がけた「ラコステ」や
「トロイ」などの日本の大手アパレルメーカーがライセンス生産する海外ブランドは、
消費者から既に見切られていました。
その窮地を挽回するためにおこなったアクアスキュータムの買収でしたがうまくいかずに、
結局は平成21年(2009年)に売却してしまっています。
そしてレナウンに決定的な打撃を与えたのは、1990年代後半からのSPAの台頭です。
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SPAは企画、製造、販売まですべての工程をひとつの流れと捉えて全体のムダやロスを
極小化するビジネスモデルで、日本のアパレル業界ではユニクロや良品計画が
これに該当します。
バブル期までは値段が高くても高品質のものが求められましたが、時代はデフレへと突入し、
品質が良くても値段が高い商品は敬遠されるようになって、安価ながらも一定レベルの
デザイン性やファッション性がある商品が売れていきます。
まさにこの現象はこれまでの日本の大手アパレルメーカーが志向していたこととは真逆で、
ワールドなどは比較的早く転換していきましたが、百貨店での販売にこだわったレナウンは
乗り遅れて大幅な売上減も経験します。
さらにはZARAやH&Mなどの海外のSPAも参入してくるなど、大手アパレルメーカーの
凋落は加速することになります。
加えて、レナウンは当初から若い女性向けのブランドを育てることができなかった
ことも痛手になりました。
このあたりは多くの女性向けのブランドを手掛けたワールドや人気の「23区」を有する
オンワードなどのライバル企業と大きく異なった点です。
その結果、1990年代半ば頃からレナウン業績は急激に悪化して、資産売却やリストラに
走ることになります。
さらには平成16年(2004年)にはレナウンとダーバンを統合して経営の効率化を図り、
翌年には投資ファンドからの出資も受けます。
それでも赤字経営は改善せずに、現在に至るまで10年以上も赤字を記録しています。
そのため投資ファンドも手を引いたことから、最終的には中国企業の傘下に収まることに
なってしまいます。
売上も平成26年(2014年)には約75億円、平成28年(2016年)には約71億円に留まり、
ピーク時には考えられない数字であるばかりか、下落傾向にも歯止めがかからない状況です。
また同社の「名物」だったテレビCMも既に打ち切っています。
ザックリとレナウンの凋落を説明しましたが、やはり大きな原因としては
百貨店の平売りにこだわり過ぎたことを挙げる意見が多いです。
デパートの地盤沈下に足を引っ張られて、自らも沈んでいったというわけです。
加えて、若い女性向きのブランドを育てることができなかったことや
名門ブランドに慢心し、新たな市場開拓やSPAへの転換などが遅れたことを
指摘する意見もあります。
いずれにしても尾上清が一代で育て上げ、「世界一」と言わしめた名門ブランドは、
現在も経営難に苦しんでいます。
その余りに寂しすぎる現状からすれば、尾上はあの世で何を思うのでしょうか?
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