べっぴんさん|エースのモデル会社VANと大阪万博の意外な関係
朝ドラ『べっぴんさん』では、栄輔のエース(エイス/AIS)の動きが
活発になってきました。
商社のKADOSHOから支援を受けて全国展開し、今や一大ブランドに
成長しましたし。
大阪万博を商機と見て、万博会場でファッションショーもおこないます。
一時はオライオンに提携を申し込んで全国展開を図ろうとした時期もありましたが、
今やすっかり立場は逆転してしまったようです。
そんなエースのモデル会社となっているのが、「メンズファッションの神様」と
称された石津謙介のVANです。
しかし実はVANや石津の大阪万博との関わり方はドラマと大きく異なります。
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エースのモデル会社VANと大阪万博の意外な関係
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大阪万博(EXPO’70)が開催されたのは昭和45年(1970年)ですが、
意外にもVANや石津謙介は万博に積極的に関わっていません。
色々と資料を調べましたが、石津自身はさほど大阪万博に興味を持って
いなかったようで、積極的には動いていません。
※追記
大阪万博の日本館の男性用ホストの衣裳のデザインを石津がデザイン
した程度の関わりでした
またその前年にメーンバンクの三和銀行が石津の放漫経営を危惧して
融資を断り、商社の丸紅が資金提供しますがさほどの金額ではありませんでした。
当時のVANは主に海外ブランドとの提携に熱心で、昭和44年にはアメリカの
スポルディング社、翌年にはフランスのハウザー社との提携に成功。
昭和46年(1971年)には一大プロジェクトだったアメリカの三大ジーンズ
ブランドのラングラー社との提携に成功し、ラングラージャパンを
創設しています。
当初はリーバイス社との交渉を進めていましたが決裂し、最終的には
VANのほか東洋紡と三菱商事の出資により、ラングラーとの提携を
成功させています。
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当時のVANは従業員数が1000人を超えた頃で確かに勢いもありましたが、
丸紅と組んで事業を多角化したり、東京の青山に関連施設をガンガン作って
自滅の道を辿りはじめるのは昭和47年(1972年)ごろからです。
ドラマのエースは大阪万博を契機に商社のKADOSHOとタッグを組んで
事業を拡大していくことになりますが、このあたりは史実と異なる点です。
とは言え、当時の大阪万博は日本においても一大イベントでしたし、
ドラマを製作しているのもNHK大阪局です。
なので東京オリンピックはスルーしてしまっても、大阪万博だけは
しっかりと描きたかったのではないでしょうか?
またドラマでも当時の大阪万博の映像がふんだんに使用されており、
テーマソングの三波春夫さんの「世界の国からこんにちは」が流れるなど、
当時を知る視聴者の方々にとっても懐かしい内容になっていますね~
大阪万博におけるエースの飛躍に期待しましょう!!
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