べっぴんさん|ファミリアと大阪万博の関わり!衣装の協力は実話?
朝ドラ『べっぴんさん』では、栄輔のエイスが大阪万博の
ファッションショーの演出をすることになり、
すみれたちキアリスもショーに使用する衣装の協力を求められます。
もちろんキアリス側も協力をするのですが、大阪万博は当時の
一大イベントでしたし、信じられないほどの入場者も押しかけて
来たので、エイスにとってもキアリスにとっても宣伝効果が
ありそうですね♪
しかも栄輔はすでに日本のファッションシーンをけん引する存在となっており、
ショーも一層注目されることですから、大きな契機になりそうです。
ところでキアリスのモデルは子供服大手のファミリアですが、
同社と大阪万博との関わりはどうだったのでしょう?
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ファミリアと大阪万博の関わり!衣装の協力は実話?
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まず前提として、栄輔のモデルの石津謙介やVANが大阪万博で
ファッションショーを開催したり、演出をした事実はありません。
実際に万博では花嫁衣裳など、いくつかのファッションショーが
開催されましたが、石津やVANは関与していません。
パビリオンの日本館の男性用の制服を彼がデザインした程度で、
さほど積極的に万博には関わっていませんでした。
VANもファッションショー(当時は主に展示会と呼ばれた)を
おこなっていましたが、主に本社のあった東京青山の関連施設で
おこなっています。
余談ですが、石津は青山をVANタウン化して日本のファッションの
発信地にするプランを描いていたので、コシノジュンコらに
関連施設のVAN99HALLを貸し出してファッションショーなどの開催に
積極的に協力しています。
で、坂野惇子らのファミリアはどうだったかと言えば、こちらもあまり
大阪万博には積極的に関与はしていないようです。
万博で実際におこなわれたファッションショーに関わったという
資料はありませんでした。
当時も実際にファミリアはファッションショーや展示会を開催していますが、
主な会場は阪急百貨店うめだ本店の催事場などが会場でした。
なのでドラマのエイスのファッションショーやキアリスの衣裳協力などは、
ドラマオリジナルのストーリーです。
ただし万博の開催時期に合わせるように、当時のファミリアには
大きな商機が訪れていました。
それはスヌーピーの販売です。
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昭和39年(1964年)に惇子の娘の光子がアメリカ留学から帰国した際に
持参した雑誌「ピーナッツ」からスヌーピーに着目しますが、
版権獲得などに手間取りました。
そのためようやく商品化できたのが昭和45年(1970年)4月で、
まさに大阪万博がスタートした頃です。
とりあえずスヌーピーのぬいぐるみを製作して販売しましたが、
社内ではヒットするかは懐疑的で月30個売れれば上出来といった
否定的な意見も少なくありませんでした。
ところがふたを開けてみると、スヌーピーのぬいぐるみは
売れに売れまくって大ヒットとなります。
当時は本場のアメリカでもスヌーピーのぬいぐるみは販売されておらず、
万博の開催によって多くの外国人観光客も訪れていましたから、
間接的に恩恵を受けたようです。
結局、翌年には月間2000個も売れるようになり、さらにその翌年の
昭和48年(1973年)には年間11万3000個も売れる一大ベストセラー商品
になりました。
現在でもファミリアはこのぬいぐるみを販売しており、本社の前には
スヌーピーの石像が建立されるほどですから、かなり売上に貢献したようです。
このようにドラマのキアリスのモデルのファミリアは大阪万博には
あまり関わってはいませんが、その頃は万博よりもスヌーピーを売ることで
忙しかったようです♪
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