べっぴんさん|栄輔のエースが倒産・経営破たん!今後はどうなる?

 

 朝ドラ『べっぴんさん』では、大方の予想通り栄輔エース

(エイス/AIS)が倒産、経営破たんすることになります。

 

エースは大手商社のKADOSHOの古門と組んで融資を受けて、

急成長していきました。

 

一気に全国展開し、日本のファッション業界をけん引するほどの

ブランドへ上り詰めました。

 

また栄輔がプロデュースした大阪万博のショーも大盛況に終わり、

今後も大きな飛躍が期待されました。

 

ところがオイルショックによる景気や消費の低迷によって、

エースの売上も伸び悩むことになります。

 

しかも古門はそんなエースや栄輔を見限って融資をストップしたため、

資金がショートしてしまい経営破たんに追い込まれてしまいます。

 

まさに手のひら返しにあった栄輔ですが、その後は行方をくらましてしまいます。

 

栄輔のその後はどうなるのでしょうか?

 

 

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栄輔のエースが倒産・経営破たん!今後はどうなる?

 

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再び行方不明となった栄輔のその後を占うにあたっては、

モデルとなったVANの社長の石津謙介の史実が非常に参考になります。

 

昭和53年(1978年)4月にVANは経営破たんして会社更生法適用の申請を

しますが、10月に東京地裁にこれを却下されて完全倒産に追い込まれます。

 

石津はすでに社長の座を退いており、また会社経営の意欲も失っていたので、

経営破たんの際には蚊帳の外にいました。

 

しかし成城の自宅は抵当に入っており、四谷にあった次男の裕介が住んでいた

旧宅に移りますが、こちらも抵当に入っており、立ち退きを迫られることは

明白でした。

 

つい数年前までは隆盛を誇ったVANの社長が、住む家さえ失うという

信じられない状況になったのです。

 

しかしそんな中、石津に手を差し伸べたのは、またもやレナウン会長の

尾上清でした。

 

そもそも終戦時の中国からすべてを失って帰国した石津を入社させて

仕事を世話したのは尾上でしたし、石津がVANの前身となる石津商店を

設立できたのも、佐々木営業部の退職金でした。

 

非常に人情に厚く、豪胆な人物で知られた尾上は石津に抵当分のお金を貸して、

債権者であった丸紅から四谷の家を取り返させました。

 

その上で、尾上は無職の彼をレナウンに入社させようとしましたが、

石津が固辞しアドバイザーに留まりました。

 

しばらくは目立った活動をしていなかった石津でしたが、昭和54年(1979年)に

160人もが参加した「励ます会」などの開催もあって、徐々にやる気を取り戻します。

 

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そして翌年に中国のモスクワ五輪のユニフォームのデザインを引き受けて、

ようやく社会復帰します。

 

同時に石津事務所を設立して、デザイナーやアドバイザーとして活動を

することになります。

 

その後は帝人やクラボウなどの大手企業と顧問契約を結ぶほか、

服飾評論家としても活動し、たびたびマスコミに登場することになります。

 

このように再びVANのようなアパレルメーカーを立ち上げることは

ありませんでしたが、VAN倒産後も石津は復活してそのカリスマ性を

存分に発揮しています。

 

ドラマの栄輔も恐らくは同じような流れを辿り、潔の助力の下で

復活することになるでしょう。

 

また史実のVANもかなり規模を小さくして復活したことから

(石津は積極的に関与はしていない)、もしかしたら栄輔も

小さな会社で再出発することになるかもしれません。

 

いずれにしても再び行方不明になった栄輔ですが、潔の助力の下で

復活する可能性が濃厚です。

 

彼の頑張りにも期待しましょう!!

 

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