べっぴんさん|健太郎の宣伝開発部長は出世が早すぎ?岡崎晴彦は?
朝ドラ『べっぴんさん』では物語が終盤に入ったこともあり、
ものすごい勢いで時が流れていきます。
さくらとの結婚をすみれたちに切り出した健太郎でしたが、
あっという間に結婚したばかりか、さくらは既に妊娠もしています。
ドラマの舞台が昭和45年(1970年)から昭和48年(1973年)に
移りましたが、なんと健太郎は宣伝開発部の部長になっています。
大学を卒業して数年間のアメリカ留学を経ての入社ですから、
年齢も30歳前後と思われますが、それにしてもスピード出世です。
健太郎のモデルとなっているのは、後にファミリアの三代目の
社長となる岡崎晴彦ですが、彼もこんなに早く出世したのでしょうか?
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健太郎の宣伝開発部長は出世が早すぎ?岡崎晴彦は?
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健太郎のモデルの岡崎晴彦がファミリアに入社したのは、
昭和46年(1971年)の7月で、本社の課長扱いでの入社ですが、
同時に子会社であった日本ベビーグロー社の取締役にも就任しています。
当時の晴彦の年齢は30歳でしたのでドラマの健太郎とほぼ同じでしたが、
アメリカ留学を経て三和銀行や父親が会長を務めていた東京計器製作所で
勤務した経験もありました。
ドラマの健太郎は社会人経験がまったくないままキアリスに入社して、
わずか3年で部長にまで出世していますが、このあたりは大きく異なる
ところです。
とは言えモデルの晴彦もその後は出世街道をばく進し、昭和51年(1976年)の
ファミリア銀座店を出店した際には店長に任命されています。
このファミリア銀座店は当時の同社にとっては一大イベントで、
もし失敗した場合にも本社の名前に傷がつかないように、
子会社の銀座ファミリアを立ち上げました。
その上で坂野惇子が代表取締役を務め、通夫が監査役となり、
レナウンの会長の尾上清も相談役として参画しています。
このようにかなり力を入れた銀座ファミリアですが、晴彦も店長である
とともに、取締役に名を連ねています。
そして彼は期待に応えて、銀座店の経営を軌道に乗せることになります。
その後は昭和55年(1980年)にファミリアの専務に就任し、昭和60年
(1985年)には遂に同社の三代目社長に上り詰めています
(ただし代表権は会長の坂野通夫が持った)
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このように晴彦は30歳で入社して、9年後にはファミリアの専務となり、
44歳で社長に就任するなどかなりのスピード出世でした。
とは言え、その後はバブルの崩壊や阪神淡路大震災、長引く不況や
少子化問題など問題が山積しましたが、ファミリアのトップとして
辣腕を振るってきました。
で、ドラマの健太郎の場合は、晴彦よりもさらに出世も早そうで
縁故採用の弊害とも思えますが、これは今後の暴走を描きたいという
製作側の意図があるでしょう。
健太郎はKADOSHOの古門やエイスの栄輔の影響を受けて、
拡大路線に舵を切ろうとして、すみれや紀夫と対立することになります。
さすがに平社員では権限の問題もありますから、リアリティを出すためには
彼がそれなりの役職にあることが必要です。
そのために半ば強引では? と思えるようなスピード出世となったと
思われます。
いずれにしても今後は出世した健太郎が暴走をはじめますので、
このあたりには注目です。
余談ですが、たけちゃんこと武の取締役就任はホッとしましたね~
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