ひよっこ|集団就職列車の実情!はじまりや最後はいつ?
朝ドラ『ひよっこ』では、みね子や時子、三男は集団就職によって
上京します。
別の記事でもご紹介しましたが、当時は中学や高校卒業の新卒者は
都市部の労働力として重宝され、特に中卒者は「金の卵」などと
呼ばれた時代です。
そのためみね子たちも他の就職者とともに集団就職列車に乗り込んで、
東京に向かうことになります。
当時はこのように集団就職列車に乗って首都圏や京阪神などの大都市に
就職するのはポピュラーでしたが、この列車の実情はどのようになっていた
のでしょうか?
その歴史と併せてご紹介します。
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集団就職列車の実情!はじまりや最後はいつ?
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まず集団就職は昭和26年(1951年)ごろからおこなわれたのですが、
当初は各自で就職先に向かっていました。
しかし出稼ぎ労働者などには柄の悪い者もいて、生徒の安全を考慮して
昭和29年(1954年)から集団就職列車なる車両が登場します。
一般的にはこの集団就職列車の第1号は昭和29年4月5日15時33分の
青森発上野行きの列車とされています。
ただし昭和14年(1939年)4月に、秋田から上野まで高等小学校の
卒業生を対象にした「少年臨時列車」を第1号とする見解もあります。
当初は車両の一部を貸切る形でしたが、高度経済成長期に突入し
就職者が増えたので、昭和31年(1956年)からは専用列車となります。
多くは出発の駅で発車前に「出発式」がおこなわれ、代表の生徒が挨拶して
生徒たちが車両に乗り込むのですが、至る所で繰り広げられる
生徒と家族たちの窓際の別れが涙を誘いました。
また同じような境遇の生徒たちが集団で乗車したことから不安も和らぐ反面、
列車によってはぎゅうぎゅう詰めで2人用の席に3人が座るなど、
決して車内環境はよかったわけではありません。
また青森や鹿児島からの列車もあり、かなりの長旅になったケースもありました。
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そんな集団就職列車の終着駅では、就職先の社員たちが出迎えたりしたので
かなり賑やかな雰囲気でした。
特に多くの集団就職列車の終点だった上野駅では、列車が到着すると
就職者や出迎えの人などで人が溢れかえったそうです。
ちなみに集団就職列車と言えば上野駅がイメージされますが、
すべてがそうでなく西日本からの集団就職列車は東京駅が終着でした。
そして集団就職自体は昭和30年代後半から40年代前半がピークで、
昭和40年代後半以降は減少していくことになります。
進学率の上昇により中卒労働者が減ったことや工場などのオートメーション化
などで単純作業者が不要になったり、オペレーターとしては高卒以上の者が
必要になったことが理由です。
そして昭和50年(1975年)3月24日に盛岡からの列車が上野に到着したことで、
集団就職列車はその歴史に終焉を迎えました。
列車数は昭和29年から数えて延べ3000本にも及びました。
およそ20年間にわたり地方の生徒たちを都市部に運んだ集団就職列車ですが、
昭和50年まで続いていたのは驚きですね。
ドラマではみね子たちも、この集団就職列車で上京することになります。
青森県からやって来る兼平豊子が乗車していることから、列車の始発は
青森駅のようです。
みね子たちは水戸駅からの乗車となりますから、さほど長時間の乗車には
ならないようです。
車内では福島からやって来て、向島電機の同僚となる青天目澄子との出会いも
描かれることから楽しみですね♪
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