ひよっこ|インパール作戦とはなに?宗男は生き残りだった!
朝ドラ『ひよっこ』では、宗男の戦争の秘密が
ようやく明らかになりました。
実は宗男は日本軍が歴史的敗北を喫した、悪名高い
インパール作戦の生き残りであることが判明。
この作戦では6万人以上の日本兵が亡くなっており、
無謀な作戦の代名詞ともなっている戦闘です。
今回はインパール作戦について詳述していきます。
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インパール作戦とはなに?宗男は生き残りだった!
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「インパール」とはインド北東部の都市名で、当時のビルマ
(現ミャンマー)の近くにある街です。
第二次世界大戦中は、日本と交戦していたイギリス軍が駐留しており、
蒋介石率いる中国国民軍の主要な補給ルートとなっていたことから、
早くから日本軍はこの街に目をつけていました。
何度かこのインパールを攻撃する作戦は立てられましたが、
日本軍が懸念したのは補給路です。
インパールに攻め込むにはアラカン山岳を超えなければならず、
前線への後方支援が困難だったので、計画は幾度も没になります。
ところが昭和19年(1944年)1月に大本営はインパール作戦を命じます。
当時は既に日本の敗色は濃かったことから、大きなリスクを負ってでも
戦局を一気に打開したいという思惑が働いたようです。
しかも常々問題の多かったこのインパール作戦には軍内でも
反対者がいましたが、今回は反対者を更迭して大本営は実行に移します。
これはこの作戦がいかにリスキーであったかを示していますね。
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そして同年5月にこの作戦は実行されて、およそ9万人の日本兵が
投入されました。
しかし連合軍は日本軍の脆弱な補給路を見抜いており、
進出限界点のインパール平原で一気に叩く作戦で臨みます。
長距離の遠征となったこの作戦では連合軍の予想通り、
日本軍は補給難から物資不足に陥ります。
必要な場合に食用にするために日本軍は牛や羊、水牛など
3万頭を引き連れた荷駄隊を率いていましたが、動きが遅く
空からの格好の標的になり、戦闘機の爆撃などによって
荷駄隊はほどなく壊滅。
早々に食糧不足に陥り、敵から奪う作戦が立てられますが、
イギリス軍の円筒陣地は日本軍の十八番の夜襲や切込みを
完全に封じました。
戦線が膠着して雨期に入ると、イギリス軍は日本軍の伸びきった
補給路(司令部から前線まで400キロもあった)を見逃さず、
これを陸空から攻撃して補給路を断ちます。
たちまち日本軍は飢餓に陥って餓死者が続出して、
マラリアの流行なども追い打ちをかけます。
結局同年の7月3日にようやく作戦の中止となりましたが、
投入されたおよそ8万6000もの兵力は、帰還1万2000人という
歴史的な敗北で、莫大な犠牲者を出しました。
まさに前線は生き地獄で兵士たちは飢えに苦しみながら
イギリス軍の攻撃を受け、マラリアや赤痢も流行。
退路は死者で埋め尽くされて、「白骨街道」と呼ばれたほどです。
当初からこの作戦は補給路が問題視されていましたが、
大本営の強引な判断によって、大きな犠牲を出して
無謀な作戦の代名詞ともなっています。
宗男も最前線におり地獄絵図を見てきたのですね…
彼の戦争の秘密がようやく明かされましたが、
まさに凄惨な現場に配置されていたのですね。
彼がどんなことがあっても「笑って生きていく」とした背景には、
このような悲惨な経験があったのです。
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