わろてんか|アサリ(前野朋哉)のモデルは花菱アチャコ!役どころ
朝ドラ『わろてんか』では、ヒロインてんのモデルが
吉本興業の創設者の吉本せいだけあって、様々な芸人が登場します。
その中でもキース(大野拓朗)や万丈目吉蔵(藤井隆)らと並んで
重要な役割を果たすのが、前野朋哉さん演じるアサリです。
そしてこのアサリのモデルとなっているのが、横山エンタツと並び
「しゃべくり漫才の元祖」とされる花菱アチャコです。
キャストの前野朋哉さんとモデルについて紹介していきます。
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アサリ(前野朋哉)のモデルは花菱アチャコ!役どころ
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前野朋哉(まえの ともや)
1986年1月14日生
身長168㎝
前野さんは岡山県出身の俳優。
2005年の映画「剥き出しにっぽん」で役者デビューして、
当初はマイナー映画を中心に活躍し、「グレートブリテン」や
「TAIMANnoGRooVE」などでは主演をしています。
その後は「モテキ」や「図書館戦争」、「闇金ウシジマくん」などの
メジャーな作品にも起用されて、かなり多くの映画に出演しています。
2011年からはテレビドラマにも出演しはじめて、「八重の桜」や
「金田一少年の事件簿」などにも出演。
最近では「恋仲」や「重版出来!」などの人気の連続ドラマに
レギュラー出演するなど、徐々に知名度を上げている中堅俳優です。
NHKの朝ドラは「あまちゃん」と「マッサン」に引き続いて
3度目の出演。
前2作では端役での出演だったので、レギュラーの今回は
期待が大きいですね~
前野さんの名前だけ聞いてもピンとこない方にこのCMを
ご用意しました。
Auの人気CMの三太郎シリーズですが、一寸法師として出演していたのが
前野さんです。
しかも多くのドラマや映画に出演しているので、どこかで見た顔だと
思う方も少なくないはずですね~
ドラマで前野さん演じるアサリは歌舞伎役者を目指すも、
その顔では無理と言われて俄か芸人(即興芸の芸人)に転向。
周囲からは守銭奴と呼ばれるほどのどケチぶりで、
何かにつけてキースとも対立。
しかし後にキースとコンビを組んで大成することになります。
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アサリのモデルの花菱アチャコとは?
花菱アチャコは明治30年(1897年)7月10日に福井県勝山市で
生まれました。
本名は藤木徳郎。
15歳で役者を目指し新派の山田九州男(山田五十鈴の父)の一座に
入りますが、翌年には漫才に転向して、花菱アチャコを名乗ります。
当初は菅原家千代丸とコンビを組みますが芽が出ませんでした。
大正8年(1919年)にドラマのキースのモデルの横山エンタツと
一度コンビを組んで「しゃべくり漫才」を披露しますが、
舞台では不評でみかんの皮を投げつけられるほどでした。
(右がアチャコ、左がエンタツ)
大正14年(1925年)に吉本興業入りをして、浮世亭夢丸や
千歳家今男らとコンビを組んでいます。
昭和5年(1930年)に、当時の吉本興業の総支配人を務めていた
吉本せいの実弟の林正之助に勧められて、再び横山エンタツと
コンビを組むことになります。
すると東京六大学野球の早慶戦などをネタにしたしゃべくり漫才がウケて、
一世を風靡することになります。
まさにエンタツ・アチャコは戦前の吉本黄金期の看板芸人でした。
戦後は吉本興業は一時演芸部門から撤退したことから、すべての
所属芸人と契約を解除することになりますが、アチャコは林正之助から
「面倒を一生見る」との一筆をとっていたので、唯一の例外として
吉本に残ります。
コンビを組んでいたエンタツは吉本から契約を解除されてしまいますから、
基本的にはエンタツ・アチャコのコンビは戦前のみの活動です
(劇場のこけら落としなどで一時的にコンビを組んだことはある)
このようにアチャコは当時からかなりの世渡り上手として
知られていました。
その後はラジオ番組「アチャコの青春手帖」が映画化されるほど
大ヒットして、ラジオドラマ「お父さんはお人好し」もヒット。
昭和34年に吉本興業が演芸部門を復活させると、
一枚看板として初期の吉本を支えることになります。
アチャコは昭和49年(1974年)に77歳で亡くなりますが、
吉本に対する功績は計り知れないほど大きいものでした。
しかしドラマのアサリ同様、アチャコはどケチで有名で、
最後まで大金を貯め込んで亡くなっています。
このように独特のキャラクターで、かなり多くのエピソードを持つ
アチャコは、ドラマにはピッタリですね~
ヒロインのてんのモデルの吉本せいとも縁が深い人物なので、
どのようにドラマで描かれるかも楽しみです。
前野朋哉さんの演技も含めて期待大ですね♪
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