わろてんか|北村屋のモデルは箸吉!でも実話とぜんぜん違う!
朝ドラ『わろてんか』では、てんの夫となる北村藤吉は
れっきとした商家の跡取り息子です。
実家は150年続く老舗米問屋の「北村屋」で、藤吉の母親の
啄子(つえこ)が切り盛りしています。
藤吉はてんとの結婚を契機に芸人になることを諦めて実家に戻り、
てんも北村屋で修業することになるなど、ドラマでも重要な舞台に
なります。
そんな北村屋のモデルとなっているのが、吉本せいの夫の実家が
経営していた「箸吉」という荒物屋です。
ところが北村屋と箸吉はまったくといっていいほど異なっています。
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北村屋のモデルは箸吉!でも実話とぜんぜん違う!
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まずドラマでは前記の通り、北村屋は非常に重要な舞台となります。
当初は鈴木京香さん演じる啄子に女中扱いされていびられる
てんですが、実は啄子単にいじめているのではなく、
商売のイロハを叩き込んでいるのです。
そのため後の寄席を経営する際には、北村屋で学んだ
商売のノウハウが活かされますし、啄子もたびたび的確な
アドバイスをしてくれます。
そのためてんにしろ、藤吉にしろ、この北村屋で
ビジネスマンとしての素養を身に着けることになります。
啄子は時として厳しい態度でてんに臨みますが、
いわば「愛の鞭」といったところでしょう。
そんな北村屋のモデルとなっている箸吉ですが、
史実はかなり違います。
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箸吉は吉本せいの夫の泰三の代で5代目を数える老舗の荒物屋
(日用品を扱う雑貨問屋)です。
せいが嫁いだのは明治40年(1907年)で、既に先代は引退しており、
泰三に代替わりしていました。
ドラマは未亡人の啄子が店を切り盛りしているという設定ですが、
泰三の義理の母親である吉本ユキは店の経営に関与していません。
家業は順調と聞いて嫁いできたせいですが、実際は箸吉の経営は
火の車で借金まみれの状態でした。
しかもそんな状態にありながら泰三は遊興に耽っており、
店の経営もせいにまかせてしまう体たらくぶり。
その頃には借金取りも店にやって来るようになっており、
彼らとの交渉が嫁としての初仕事だったとせいも語っています。
また義理の母親のユキは口やかましく、せいに辛く当たっていますが、
ドラマのような愛の鞭ではなく、単なる嫁いびりでした。
そのためせいもユキを心底嫌いだったらしく、後年まで彼女のことを
語ることは少なかったといいます。
そんな窮状にあった箸吉でしたが、せいもその経営を立て直すことは
できずに、明治42年(1909年)に市電の開通工事による
立ち退きを命じられたタイミングで廃業しています。
で、ドラマではてんは北村屋で商売のノウハウを学ぶことになりますが、
このあたりのエピソードは吉本せいが結婚前に働いていた
奉公先での出来事が下敷きになっています。
せいは義務教育が終了した10歳の時に、島徳蔵が経営する
米穀商に奉公に出されています。
奉公先の商店はけっこうな名家で、利発だったことを島にも
気に入られたこともあって、ここで色々と学んでいます。
ただし物事をズバズバと言うせいは、先輩女中のイジメや
嫌がらせにも遭ったようです。
結局、この米穀商で7年間働いたのちに、吉本家に嫁入りしていますが、
この女中時代の出来事をもとに、ドラマでの北村屋でのエピソードが
作られているようです。
てんは啄子のスパルタ教育のもと、大きく成長していきますから、
このあたりにも期待ですね♪
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