わろてんか|吉本せいの経営手腕の凄まじさ!10年で大阪を席巻
朝ドラ『わろてんか』でヒロインてんのモデルとなっているのが、
吉本興業の創設者である吉本せいです。
彼女は23歳だった明治45年(1912年)に、端席の寄席である
第二文藝館を素人同然で経営を開始しましたが、わずか10年間で
大阪の寄席を席巻しています。
パートナーの吉本泰三とともに吉本興業部を興していますが、
泰三は主に企画の立案のみをおこない、寄席の経営は
ほとんどせいの手に委ねられていました。
そんな吉本せいの凄腕の寄席の経営手腕をご紹介します。
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吉本せいの経営手腕の凄まじさ!10年で大阪を席巻
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まず経営権を買い取った第二文藝館は三流の寄席で、
客席数も150~200ほどの小規模のハコでした。
まずせいがおこなったのは、木戸銭(入場料)を激安に設定
したことです。
通常の3分の1程度の5銭に設定して寄席の敷居を下げています
(別途、下足代として2銭かかった)
このような激安料金は話題となり、第二文藝館は連日満席となりますが、
いかんせん木戸銭が安いため薄利です。
しかしせいはそれをカバーするために、あの手この手で利益を
挙げています。
①すし詰めにした寄席の回転をよくする
まずは木戸銭が安いことから客を詰め込むだけ詰め込んで、
多い時には定員の2倍にあたる400人を入れたと言います。
そして当時の寄席は基本的に無制限で客は好きなだけ観劇
することができるのですが、それではあまり儲かりません。
そのためせいは次に客の回転をよくする手に出ます。
まずは寄席の風通しを悪くして、夏などは蒸し風呂状態にします。
さらに芸人たちの出番も工夫して、要所に素人同然のウケない
噺家や芸人を挟んで場をシラケさせます。
また同じ芸人を出演させることで演目が一周したように、
客に錯覚させるようにもしました。
これらはすべて客を自主的に退席させることを目的にしており、
これにより寄席の客の回転も上がって利益を増やす算段です。
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②飲み物の販売で利益を上げる
当時の寄席ではラムネや冷やし飴(水飴を湯で解いて生姜を加えて
冷やしたもの)が売られていましたが、夏場にはせいは寄席の前で
それらを売りました。
しかも大きな氷の板を用意して瓶を転がして販売したため、
かなりのインパクトもありました。
購入者や見物客にすかさず5銭の寄席をアピールして
入場を促しています。
さらに場内でもラムネなどの飲み物の売上を増やすため、
甘いものの販売をやめて、あられやせんべい、さきイカなどの
塩辛いものばかりを販売しています。
さらに寄席の終演後に客が残していったみかんの皮を集めて
乾燥させて、漢方薬の「陳皮」を作って薬屋に販売しています。
③入場料の変動
5銭という激安価格がウリの第二文藝館でしたが、せいは時機を計って
木戸銭を変動させています。
例えば雨が降りはじめると雨宿りの客が増えることから、
すかさず木戸銭を7銭や10銭に変更。
せいはその日の天候や人の流れを読んで、マメに木戸銭を
変動させていました。
この点を細かい客に突っ込まれると、「今日は紋日
(遊興における特別な日)だから」などと切り返しています。
このように木戸銭を爆安に設定した上で、あの手この手で
利益を上げていくというのがせいの寄席経営のスタンスでした。
後に寄席の買収を重ねて、最盛期には47もの寄席を経営。
その中には一流と呼ばれる寄席も含まれましたが、
基本的には木戸銭はライバルの寄席の半分に設定して
激安路線を貫いていました。
せいの経営手腕は冴えわたり、わずか10年にして
大阪の興行界を支配する存在に上り詰めています。
ドラマでもてんと藤吉は寄席の経営をはじめますが、
そこにはリアルのせいのエピソードも参考にされるはず。
どのようにドラマで描かれるかも楽しみですね♪
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