わろてんか|吉本せいは通天閣を買っていた!大阪のシンボル
朝ドラ『わろてんか』でヒロインてんのモデルとなっているのは、
吉本興業の創始者である吉本せいです。
せいは夫の泰三とともに場末の寄席の経営からはじめて、
わずか10年間で大阪の演芸界を席巻。
戦前の全盛期の昭和11年(1936年)ごろには、首都圏も含めて
実に47もの寄席を所有していました。
まさに飛ぶ鳥を落とす勢いだった当時の吉本興業部ですが、
驚くことに吉本せいは大阪のシンボルでもある通天閣を
買収していたのです。
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吉本せいは通天閣を買っていた!大阪のシンボル
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現在も大阪の観光名所として知られる通天閣ですが、
実は1956年(昭和31年)に建設された2代目です。
形状は初代と似ているものの、高さや場所が異なります。
初代の通天閣は大阪の新世界にあって、広大な遊園地だった
新世界ルナパークとともに、明治45年(1912年)に建設されています。
高さは現在の108mに及ばないものの、75mあって当時は
東洋一の高さを誇っています。
またルナパークは当時としては最先端の遊園地で、絶叫マシンなどの
アトラクションのほか、ローラースケート場や活動写真館、音楽堂や演
芸場、サウナ風呂などを備えた総合レジャー施設でした。
初代の通天閣はルナパークとロープウェイで結ばれており、
大阪では2番目となるエレベーターが設置されて評判でした。
しかしその後、ルナパークは経営不振に陥って
大正14年(1925年)に閉鎖。
ルナパークの閉園後も通天閣は営業しており、当時も大阪の
シンボルのような存在でした。
ところが展望台が狭くて貧弱だったことやエレベーターの老朽化で、
「いつか落ちる」との噂もあって、その経営は火の車でした。
そんな中、昭和13年(1938年)に吉本せいは通天閣を買収しています。
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買収金額は25万円とも31万円とも言われていますが、
当時の吉本興業部の資本金が48万円であったことから
かなりの金額です。
採算はとれないことはもちろん、年間の維持費もかなりかかるため、
社内ではかなりの反対意見もありましたが、せいは買収を強行しています。
せいは通天閣を、当時かなりの勢いを持っていた吉本興業部の
シンボルのような存在にしたかったようですね。
そのために大金を叩いて、採算度外視の買収に出たようです。
通天閣はきれいに改修されて、足もとにある吉本所有の新世界花月と
芦辺劇場を従える形で営業を再開します。
ところが買収から5年後の昭和18年(1943年)1月16日に、
直下にあった映画館の大橋座での火事で焼けただれます。
火事は新世界花月や芦辺劇場を焼失させたほどで、通天閣も
30mの高さまで焼けて、脚部が強度不足になってしまいます。
当時は既に戦時下となっており、演芸などの収入も激減していたことから、
吉本興業部は通天閣の再建を諦めて、鉄材を軍需物資として供出する名目で
同年の2月13日から解体され、初代の通天閣は姿を消しています。
このように吉本興業部はわずか5年間ながら、大阪のシンボルである
通天閣を所有していました。
まさにこの頃の吉本興業部の勢いを示すエピソードでしたが、
通天閣を手中に収めた際にはせいはどのような気持ちだったの
でしょうか?
もしかしたらドラマでもこのエピソードが登場するかもしれませんね♪
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