わろてんか|風鳥亭はいつはやる?実話の寄席はどうだった?

 

 朝ドラ『わろてんか』では、てんと藤吉の夢であった寄席

「風鳥亭」がオープンしました。

 

ところが肝心の興行は散々で、トリを務めた和泉屋玄白の噺は

客にウケず、他の芸人たちの芸もヤジられるばかりでした。

 

とうとうオープンから四日目には、開店休業状態に陥ってしまいます。

 

また出演芸人を確保するために対立している伝統派とオチャラケ派に

交渉するもいずれにも相手にされず、寄席の興行すら危うくなって

しまいます。

 

もともと資金難の問題もありますし、早く何とかしなければ

やがて倒産の危機も訪れるはず。

 

そんな風鳥亭がはやって経営が軌道に乗るのはいつのこと

なのでしょうか?

 

 

風鳥亭はいつはやる?実話の寄席はどうだった?

 

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風鳥亭がはやって経営が軌道に乗りはじめるのは、

当代随一の落語家である喜楽亭文鳥が一度きりの高座へ

上がってくれる以降です。

 

藤吉は伊能を通じて伝統派のリーダーの文鳥と話す機会を得て、

伝統派の落語家の風鳥亭への出演交渉をします。

 

しかし文鳥は寄席の経営方針がはっきりしていないことを

理由にこれを却下。

 

ところがてんのアイデアで後日文鳥に好物のカレーうどんを振舞うと、

いきなり文鳥自身の風鳥亭への出演を交渉します。

 

開店したばかりの端席である風鳥亭へ当代随一の落語家である

文鳥の出演を依頼すること自体が荒唐無稽なのですが、

文鳥は逆に面白がります。

 

その上でてんや藤吉は落語に対する想いを伝え、

1度限りという約束で文鳥の出演を取り付けます。

 

さらにこの機会を最大限活かそうとの伊能の進言に従って、

文鳥の特別講演を事前に新聞社などのマスコミに知らせておきました。

 

当日は大勢の客が押し寄せてくるとともに、多くのマスコミも

取材に来ます。

 

その中にはかつて北村屋を出て行って新聞記者となった

楓の姿もありました。

 

さすがに名人の域の文鳥の落語は大いにウケて興行は大成功し、

マスコミもこれを書き立てたので、風鳥亭の名は瞬く間に

知れ渡ることになります。

 

さらに風鳥亭と文鳥の伝統派が手を組むことを懸念した太夫元の寺ギンが、

オチャラケ派の芸人を手配することを約束するので、これによって

安定した興行を開催することも可能になります。

 

こうして当初はかなり危ぶまれた風鳥亭の経営も、

徐々に軌道に乗っていくことになります。

 

このようにてんと藤吉の寄席「風鳥亭」は、文鳥の出演を境に

はやりはじめます。

 

コンテンツ

風鳥亭のモデルの第二文藝館はどうだった?

 

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吉本せいと泰三が買い上げた端席の「第二文藝館」は、

大阪天満宮の裏手に位置していました。

 

当時はそのあたりは道頓堀に次ぐ繁華街として知られ、

寄席も8軒あるなど激戦区でした。

 

そのため普通のやり方では商売にならないと考えたふたりは、

いきなり木戸銭(入場料)を通常の三分の一程度の5銭

設定します(他に下足代として2銭を徴収)。

 

その上で演目も従来のように落語を中心とせずに、モノマネや剣舞、

曲芸、怪力といった色物を中心に組みました。

 

吉本夫婦は借金をしてこの寄席の経営権を取得しており、

金銭的な問題から名のある落語家の出演は難しかったのですが、

この演目の構成は当時としてはかなり斬新だったようです。

 

また当初から浪速落語反対派(オチャラケ派のモデル)と組んでおり、

色物芸人の確保には苦労しませんでしたし、なかなかの好評を得ました。

 

さらにドラマの文鳥にあたる当時の三友派の落語家の力を借りることも

ありませんでした。

 

ドラマではてんや藤吉は苦労して風鳥亭の経営を軌道に乗せますが、

実話のほうはと言えば、作戦勝ちだったこともあって

いきなり大はやりでした。

 

このあたりはドラマですから、主人公たちにそれなりの苦労を

させるようですね♪

 

てんと藤吉の頑張りにも期待です。

 

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