わろてんか|川上四郎(松尾諭)のモデルは玉松一郎!リリコの相方
朝ドラ『わろてんか』では追加キャストが発表され、松尾諭さんが
川上四郎役で登場します。
松尾さんは前作の朝ドラ「ひよっこ」でも、奥茨城村のバスの車掌
益子次郎役で登場しましたので連投となりますね♪
そんな松尾さんが今回演じるのはリリコの相方となる川上四郎です。
そして四郎のモデルは、戦前に一世を風靡したミスワカナの相方だった
玉松一郎です。
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川上四郎(松尾諭)のモデルは玉松一郎!リリコの相方
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ドラマの川上四郎は音楽学校でピアノを学び、演奏家を志しますが
夢は叶わずに無声映画の伴奏楽士をしていました。
伴奏楽士とは無声映画の音の担当者で、セリフを担当する弁士とともに
なくてはならない存在でした。
ところが映像に音声が備わったトーキー映画が登場するとあえなく四郎は
失業し、アコーディオンを使ってリリコの流行歌漫才の伴奏を務めることになります。
そんな四郎のモデルとなっているのが玉松一郎です。
一郎は明治39年(1906年)生まれで、後に結婚するミスワカナとは
4歳年上でした。
大阪貿易語学院(現在の開明中学校・高校)を卒業すると音楽家を志し、
無声映画の伴奏をするオーケストラでチェリストやドラマーを務めていました。
大正14年(1925年)に19歳だった一郎は、河内家小芳と名乗って
漫才の舞台に立っていた14歳のワカナと出会い、恋に落ちます。
しかしワカナには許嫁がいたことや一郎の家族がふたりの交際を猛反対した
ことから、一郎は仕事まで辞めさせられています。
結局ふたりは別れてしまい、ワカナは昭和3年(1928年)に郷里の鳥取に
戻って許嫁と結婚し、娘をもうけました。
昭和4年(1929年)にワカナは漫才師の仕事を再開すると、
一郎も無声映画の伴奏の仕事を再開。
するとふたりは大阪でばったりと再会し、周囲の反対を押し切って駆け落ちをします。
その途中の汽車の中でふたりはコンビ結成を決意して、広島の興行師の
つてを頼りましたが、最終的には中国の青島まで流れています。
中国時代にはワカナはダンサーやタップに挑戦し、一郎はアコーディオンを
習得しますが、これが後に活きることになりました。
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ふたりは昭和6年(1931年)に帰国して九州巡業などをしていましたが、
吉本せいの実弟の林正之助の目に留まり、昭和12年(1937年)に吉本興業部入り。
当時吉本興業部に所属していた放送作家の秋田実の徹底した教育の
甲斐もあって、ミスワカナ・玉松一郎のコンビは話題となります。
ワカナは洋装姿ではじめて舞台に立った女漫才師で、一郎もアコーディオン
を持ったはじめての漫才師でした。
ふたりの漫才は一郎のアコーディオンに乗ってワカナが流行歌を歌いまくる
という「歌謡漫才」という新しいジャンルで、当時としてはかなり斬新な
スタイルでした。
さらにはワカナはダンスやタップもできて、片言の英語を交えて
笑いを取ったことから、メキメキと頭角を現します。
林正之助もこのコンビを猛烈にプッシュして、花月の舞台はもちろん
のこと、ラジオの寄席中継やエンタツ・アチャコの喜劇映画にも
出演させています。
そのためふたりは吉本入りしてからわずか2年あまりで、エンタツ・アチャコ
と並ぶほどのトップスターに上り詰めます。
しかし人気絶頂だった昭和14年(1939年)に松竹系の新興キネマに
引き抜かれ、世間を騒然とさせます。
その後はワカナの浮気で昭和19年(1944年)にふたりは離婚しますが、
コンビは継続。
しかし昭和21年(1946年)にワカナの急死でコンビは消滅してしまいます。
しかし一郎は2代目ワカナ(ミヤコ蝶々)、3代目ワカナ(初代の実の娘の
三崎希於子)、4代目ワカナ(河村節子)とパートナーを変えて、
昭和38年(1963年)に亡くなるまで舞台に立ち続けていました。
ただし初代ワカナの死以降は、全盛期の人気を取り戻すことはできませんでした。
松尾諭さん演じる川上四郎のモデルである玉松一郎は、このような人生を辿っています。
今作の朝ドラはそれほど史実に忠実ではなく、オリジナルの面も多いので
四郎はどのように描かれるのでしょうか?
いずれにしても登場が楽しみです!
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