あさが来た|広岡浅子の潤野炭鉱で落盤事故はあったの?大惨事も

 

朝ドラ『あさが来た』では、あさ(波瑠)に待望の女児が誕生します。

 

これまでなかなか子宝に恵まれなかったことから、新次郎(玉木宏)ら

加野屋の面々の喜びはひとしおでしょう♪

 

そんなお祝いムードも束の間、加野屋が経営している九州の加野炭鉱

大規模な落盤事故が発生します。

 

この当時の加野屋の経営の大半は加野炭鉱の収益で成り立っており、

経営が傾いた当時の借金も徐々に減らしていっている最中のことです。

 

まさにあさや加野屋にとっては加野炭鉱の落盤事故は青天の霹靂であると同時に、

その屋台骨を揺らがしかねない大事件です。

 

ところでこの加野炭鉱は広岡浅子の加島屋が経営していた潤野炭鉱

モデルとなっていますが、実際に落盤事故などはあったのでしょうか?

 

実は大惨事も起こっていたのです。

 

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広岡浅子の潤野炭鉱で落盤事故はあったの?

 

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潤野炭鉱は地元の帆足義方により1883年(明治16年)に開かれた炭鉱で、

筑豊炭田の炭鉱の中では比較的新しい炭鉱でした。

 

当初は先進的な機械を導入するも採炭量は伸びずに経営不振に陥ったところを、

広岡浅子の加島屋が買収しました。

 

ところがこの潤野炭鉱では落盤事故が相次いで、なかなか採炭量も増えずに

加島屋も経営に苦しみます。

 

ドラマでも加野炭鉱は落盤事故に見舞われますが

(実は長塚圭史さん演じるサトシが仕組んだもの)、

これはリアルの潤野炭鉱と同様です。

 

潤野炭鉱はもともと個人資本の比較的小規模の炭鉱ですし、

先進的な機械は導入したものの、炭鉱全体の設備としては

それほどしっかりしたものではなかったと考えられています。

 

さらに度重なる落盤事故に加えて、新たな坑道も大断層に阻まれて、

潤野炭鉱は遂に休鉱に追い込まれてしまいます。

 

そこで広岡浅子がピストルを忍ばせて潤野炭鉱に乗り込み、再開発に成功させる

有名なエピソードが登場し、炭鉱も優良炭鉱へと生まれ変わっていくのですね~

 

潤野炭鉱で起こった大惨事とは?

 

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潤野炭鉱では1903年(明治36年)1月に死者64人を出す

ガス爆発事故が起こっています。

 

さらに1913年(大正2年)には、死者・行方不明者101人を出す、

ガス粉じん爆発事故が起こっています。

 

潤野炭鉱 慰霊碑

(現在も残る二瀬炭鉱(旧潤野炭鉱)の門柱とプレート)

 

ドラマにもあるように当時の炭鉱は、女性も坑道に入って作業していましたし、

場合によっては子どもを含む一家総出で採炭作業をおこなっていました。

 

そのためこの2つの事故の犠牲者の中には、多くの女性や子どもも

含まれていたと思われます。

 

ただし、これらの大惨事が発生したのは浅子や広岡家が潤野炭鉱を

政府に売却した後の出来事です。(名称も二瀬炭鉱に変っていた)

 

ドラマでは治郎作や福太郎、カズらが意気揚々に働く加野炭鉱ですが、

後に多くの犠牲者を出す大惨事の現場となってしまったのです。

 

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