わろてんか|天満風鳥亭が大阪大空襲で炎上!風太は大丈夫なの?
朝ドラ『わろてんか』では、南地風鳥亭が建物疎開となって取り壊し。
他の寄席も次々に閉鎖となって、北村笑店の寄席は天満風鳥亭など4つほどと
なってしまいます。
さらに昭和20年(1945年)に突入すると、空襲などの影響で安全な寄席の運営が
できなくなったことを理由に北村笑店はいったん解散の道を選びます。
てんやトキらはりんの旦那の親戚を頼って滋賀県に疎開することになりますが、
風太はキースやアサリらと大阪に残って、天満風鳥亭を守ります。
この寄席は藤吉とてんがはじめに開いた思い入れがあるものでしたが、
3月13日には大阪大空襲に遭うことになります。
空襲によって天満風鳥亭は炎上することになりますが、風太は大丈夫なのでしょうか?
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天満風鳥亭が大阪大空襲で炎上!風太は大丈夫なの?
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風太は炎上する天満風鳥亭に飛び込んでいくことになり、その後は消息不明となります。
しかし終戦間際にてんやトキらが疎開している治平の家にひょっこり現れます。
また炎上する天満風鳥亭に飛び込んで守ろうとしたのは、北村笑店の看板です。
それもしっかり守り切って、滋賀の疎開先に持参することになります。
大阪大空襲は東京大空襲ほどの規模ではありませんが、1万人以上が
犠牲となっているので、無事なのは何よりですね~
天満風鳥亭は空襲で焼け落ちてしまうことになりますが、風太は健在です。
このあたりの史実はどうだったかと言えば、まず天満風鳥亭のモデルとなっている
第二文藝館は昭和16年(1941年)に閉館しています。
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出征により芸人らが足りなくなったことが理由ですが、吉本興業のルーツとなった
この寄席は開業から29年目で幕を閉じています。
また風太のモデルとなっている林正之助も、空襲であわやの目に遭っています。
昭和20年の1月に正之助は空襲に備えて、部下の橋本鐵彦とともに大阪の吉本の
事務所の書類を夙川の正之助の自宅に運ぶために整理しました。
段ボールに書類を詰めて、翌日に運び出す予定でしたが、その日の晩に米軍機が
ミナミを空襲して事務所は全焼し、書類も焼失しています。
正之助は無事でしたが、書類の消失によって戦前の吉本興業部の大半の記録も
失われてしまいました。
そのため戦前の吉本はあれほどの隆盛を誇ったにも関わらず、所属芸人たちの
詳細などに不明な点が非常に多くなっています。
また大阪大空襲の際には所有する寄席や劇場の大半が、大きなダメージを受けています。
戦前の大阪に一大王国を築いた吉本興業部でしたが、まさに戦火によって
ほとんどすべてを失っています。
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