まんぷく|大阪東洋ホテルのモデルはあの名門ホテル!福子の就職先
朝ドラ『まんぷく』では、ヒロインの今井福子(安藤サクラ)は女学校卒業後、大阪東洋ホテルに電話交換手として採用されることになります。
このホテルはドラマでは名門ホテルの設定で、福子は子供の頃から英語の勉強をしていたことから、それが決め手となって採用されたようです。
そんな大阪東洋ホテルのモデルとなっているホテルをご紹介します。
ドラマ同様、モデルのホテルも名門ホテルでした。
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大阪東洋ホテルのモデルはあの名門ホテル!福子の就職先
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まず大阪にはかつての大阪ホテル御三家のひとつ「東洋ホテル」(現在はラマダホテル大阪)という名門ホテルがあり、名前も非常に似ているのですが、こちらはドラマの「大阪東洋ホテル」のモデルではありません。
大阪東洋ホテルのモデルとなっているのは、福子のモデルの安藤仁子が勤務していた京都の都ホテル(現在はウェスティン都ホテル京都)です。
他の記事でもご紹介しましたが、仁子は女学校3年生の頃に実家の家計が窮乏して、1年間休学して女学校をトータルで6年かけて卒業しています。
休学した際には大阪電話局で勤務して、復学後も掛け持ちして1年間の見習い後に3年間電話交換手として働いています。
そのため電話交換手の資格も取得しており、さらに英語が堪能だったことから、それらが決め手となって都ホテルに採用されています。
都ホテルは明治23年(1890年)に開業した保養遊園地「吉水園」内に、明治33年(1900年)に開業した名門ホテルです。
以降は日本最大の観光地である京都で最高級ホテルとして君臨し続け、大正14年(1925年)に作られた佳水園庭園や昭和8年(1933年)に作られた葵殿庭園などは、ともに京都市文化財に指定されています。
(葵殿庭園)
このように素晴らしい日本庭園を併設していることから、このホテルは古くから箱根の富士屋ホテルなどと並んで外国人観光客には憧れのホテルでした。
しかし近時は経営の悪化から世界規模でホテルチェーンを経営するアメリカ企業の「スターウッド・ホテル&リゾート」の傘下に入り、平成14年(2002年)4月にウェスティン都ホテル京都に名称を改称しています。
(ウェスティン都ホテル京都の動画)
で、福子のモデルの安藤仁子ですが、都ホテルに電話交換手として就職したのは18歳だった昭和10年(1935年)のことです。
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その後にその働きぶりが当時の社長に評価され、仁子は「ホテルの顔」というべきフロント係に抜擢されています。
そして27歳だった昭和19年(1944年)に、このホテルに客として訪れた安藤百福と運命的な出会いを果たしています。
このように仁子は都ホテルに就職していなければ、百福と出会うこともなかったかもしれません。
その意味ではドラマでも福子が勤務する大阪東洋ホテルには、物語上重要な舞台となるようです。
福子のホテルでの奮闘に期待しましょう!
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