まんぷく食品のモデルは日清食品!ヒット商品を連発!
朝ドラ『まんぷく』では、萬平は「まんぷくラーメン」の開発に成功し、「まんぷく食品」という会社を立ち上げることになります。
麺やスープの製造に試行錯誤を繰り返し、ようやくまんぷくラーメンは完成しますが、販売するにあたってこの会社を設立します。
周知のとおり「まんぷくラーメン」のモデルは、安藤百福が開発した「チキンラーメン」ですし、まんぷく食品のモデルは日清食品です。
百福が日清食品を立ち上げた経緯やその後のヒット商品などをご紹介します。
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まんぷく食品のモデルは日清食品!ヒット商品を連発!
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安藤百福が日清食品を設立したのは、1958年(昭和33年)12月のことです。
チキンラーメンはこの年の8月25日から販売を開始しており、当初はサンシー殖産という会社で販売していました。
どうやらこの会社は百福が所有していた休眠会社だったようですが、「チキンラーメン」を発売するにあたって、発売元として使用したようです。
そして「チキンラーメン」がその年の秋ごろに爆発的に売れるようになって、百福も成功を確信。
発売開始から4か月後の12月20日にサンシー殖産を日清食品株式会社に改めています。
社名の由来は「日々清らかに豊かな味を作りたい」という百福の願いが込められています。
(創業当時)
「チキンラーメン」はその後も売れ続けて、日清食品は大きくなっていくのですが、その過程で他のロングセラーとなる商品も開発しています。
その主なもの以下の通りです。
1963年(昭和38年):袋入り焼きそば「日清焼きそば」
1968年(昭和43年):袋入りラーメン「出前一丁」
1971年(昭和46年):「カップヌードル」
1976年(昭和51年):「U.F.O.」
1976年(昭和51年):「どん兵衛きつね」
どれもお馴染みの商品で現在も売れ続けており、たいていの方は一度は食べたことはあるものですね♪
ちなみに「U.F.O.」と「どん兵衛」に関しては百福の次男で現在の日清食品ホールディングスCEOの安藤宏基(ドラマの源のモデル)が手掛けたものです。
また日清食品は昭和30年代後半からテレビを積極的に利用する広告戦略に出ており、「地上最大のクイズ」(昭和37年~)や「ちびっこのどじまん」(昭和40年~)、「ヤングおー!おー!」(昭和44年~)などのテレビ番組を一社提供して商品を宣伝していました。
このあたりにも「次はテレビの時代が来る」と読んだ百福の戦略が的中しました。
これらの戦略や画期的な商品の開発などもあって、日清食品は食品加工の分野でガリバー企業となっていきました。
ちなみに日本国内には同じ「日清」の名前がつく「日清製粉」と「日清オイリオ」の有名会社がありますが、日清食品を含めてこれら3社には資本関係などなく、まったくの別会社です。
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