まんぷく|日本即席ラーメン工業協会のモデルや実話!
朝ドラ『まんぷく』では、まんぷくラーメンが売れはじめると類似品や粗悪品が登場して、萬平らの頭を悩ませます。
もっとも悪質だった「本家まんぷくラーメン」のテイコー食品には偽物の販売をやめることを約束させますが、粗悪品は後を絶ちません。
そのため萬平は元食糧庁長官の衆議院議員・土井垣隆三の勧めによって、業界の整備に取り掛かります。
即席ラーメンの協会を立ち上げて、そこに入会すればまんぷく食品が有している製造特許を無償で使えるという内容の破格の条件で粗悪品を追放することを明らかにします。
まんぷく食品にとって無償での特許開放はまったく利益になりませんが、それ以上に粗悪品を追放したい思いが勝ることからこのような思い切った施策に踏み切ることになります。
こうして誕生するのが「日本即席ラーメン工業協会」で、萬平が初代会長に就任することになります。
この協会のモデルとなっているのが、安藤百福が1964年(昭和39年)に設立した社団法人日本ラーメン工業協会(現在は日本即席食品工業協会)です。
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日本即席ラーメン工業協会のモデルや実話!
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ドラマでは萬平は粗悪品の追放のために業界整備に取り掛かり「日本即席ラーメン工業協会」を作りますが、実話はもっと複雑な事情がありました。
百福の日清食品は1960年(昭和35年)から裁判などに訴えて模倣品や類似品を排除していきましたが、その後に他のメーカーとの特許権争いが勃発します。
特に日清食品は大和通商やエースコック(エース食品)との間では泥沼の特許権争いとなってしまい、相互に訴訟の応酬をする始末となっていました。
また1961年(昭和36年)には「まるちゃん」の東洋水産が即席ラーメン市場に参入し、富士製麺が「サンヨー食品」(サッポロ一番)に社名を変更、既に業界に参入していた明星食品も続々と新製品を投入するなど、業界内の争いも激化してきた時期です。
そのため業界内には「ラーメン協会」が乱立する事態になっています。
百福は1962年(昭和37年)7月に「全日本即席ラーメン協会」を設立して会長に就任しますが、参加したのは36社のみです。
すると直後にエース食品(現在のエースコック)がこれに対抗して、同業7社で「日本即席ラーメン協会」を設立。
翌月には大和通商が同業8社とともに、「全日本即席ラーメン工業会」を結成しています。
1963年(昭和38年)には、「東日本即席ラーメン協会」(14社が参加)や「全九州即席ラーメン協会」(17社が参加)などのラーメン協会も現れて、何が何だかわからないような状態になりました。
異議申し立てや仮処分の申請を繰り返す特許権争いに次いで、このようなラーメン協会の乱立によって当時のインスタントラーメン業界は大混乱していたことから、遂には見かねた食糧庁長官(土井垣隆三のモデル)から、業界の協調体制を確立するよう勧告が出されます。
そのため百福は泥沼の戦いを演じていた大和通商やエース食品(1964年からはエースコック)と和解して、業界の整備に取り掛かります。
そして1964年(昭和39年)に誕生したのが、「日本ラーメン工業協会」でした。
この協会には有力企業の64社が参加して、互いの特許を尊重して商品の品質を高めることを約束しています。
初代理事長には協会の設立に奔走した百福が就任して、ようやく即席ラーメン業界が整備されました。
以降は各社ともに製品での勝負となっていくのですが、この協会の発足は即席ラーメン業界にとっては大きな進歩だったと言えそうですね♪
ちなみにドラマでは萬平の「日本即席ラーメン工業協会」の発足ともに、まんぷく食品の特許の無償開放が描かれていますが、安藤百福は1962年(昭和37年)の特許確定以降も特許を開放しています。
ドラマのように無償ではありませんが、百福は特許を独占するつもりはなく、当初から契約条件が折り合えば他社と手を取り合って歩んでいく意向を持っていたのです。
このような実話や史実の下敷きによって萬平の「日本即席ラーメン工業協会」が描かれていきますが楽しみですね~
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