あさが来た|あさが創る加野銀行!そもそも両替商と銀行の違いは何?
朝ドラ『あさが来た』もいよいよ後半戦に突入し、
あさの当面の目標は銀行の設立となります。
あさの実家の今井家は明治の初期にいち早く銀行設立のために動き出しましたが、
経営がおぼつかなかった加野屋はそうはいきませんでしたね。
しかも銀行の設立に際しては、あさは大番頭の雁助や当主の栄三郎と
意見が対立してしまいます。
加野銀行の設立には色々と越えるべきハードルが高そうですね~
しかし、あさは持ち前のガッツと前向きさで加野銀行を開業させることになります。
ところでそもそも両替商と銀行の違いは何なのでしょうか?
大番頭の雁助はあくまでも両替商にこだわるのも気になりますね。
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あさが創る加野銀行!そもそも両替商と銀行の違いは何?
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まず江戸時代まで隆盛を極めた両替商ですが、小規模の両替商と
大店(おおだな)の両替商では業務内容が違いました。
「銭屋」などと呼ばれた小規模の両替商は、まさに通貨を両替することが主な業務。
以前の記事でも書きましたが、それまでは関東圏では金、関西圏では銀が
通貨として用いられており、相互に両替する必要がありました。
さらに小判や丁銀といった単位の大きな貨幣は一般的なお店で使用することが
できなかったことから、これを寛永通宝などの銭に両替する必要がありました。
この両替の際の手数料が主な利益だったわけですが、明治元年(1868年)に
政府は統一通貨の発行のために銀目停止(銀貨の廃止)をおこなったことにより、
両替商の意義も失われていきます。
このように小規模の両替商については、この銀目停止を境に多くが廃業に
追い込まれていきましたが、大店の両替商は違いました。
大阪の大店の両替商は銀目手形を発行していたので、
この手数料収入がありました。
当時の大商人は現金取引ではなく両替商に現金を預け入れて発行される
銀目手形によって商取引の決済をおこなっていました。
現在で言えば、銀目手形は小切手のようなものです。
それらに加えて大店の両替商は預金や貸付、為替取引などにも
業務を広げていきましたので、こちらでも収入がありました。
ドラマでも加野屋が銀目停止後も両替商の看板を掲げて、
業務をおこなっていたのは、このような収入があったからです。
加野屋などの大店の両替商は、現在の金融機関のような役割を
既に果たしていました。
ではなぜその両替商から銀行へと転換していく必要があったかと言うと、
さらなるメリットがあったからです。
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まず初期の国立銀行(国の法律に基づいて運営される民間銀行)は、
通貨統一のための旧貨幣の回収、公金の運用、紙幣の発行などの
権限や業務が認められていました。
(当時の国立銀行が発行した紙幣)
特に公金の運用は莫大な利益や政府関係者との密接な関わりも見込めるので、
あさの実家の今井家のモデルの三井家が銀行化を急いだ理由はこのあたりにあります。
ただし、明治15年(1882年)の日本銀行の設立によって国立銀行の権限や業務は
大幅に縮小され、民間からの預金の運用や貸付を主な業務にする
普通銀行へと変わっていきます。
これでは昔の両替商と変わらないのでは? とも思われますが、
法律によって設立や運営が厳格な銀行とそれがない旧来の両替商では信用度が違います。
そのため日本全国に続々と銀行が設立されることになり、
最盛期の明治34年(1901年)には全国になんと2359行も銀行がありました。
このようにもはや銀行の設立は当時のブームとなっており、
旧来の両替商にこだわっていては預金者の獲得ができずに
倒産することは目に見えていたのです。
ドラマではあさと雁助が加野銀行の設立で対立する描写も登場しますが、
このあたりはフィクションです。
加野屋のモデルの加島屋は明治21年に念願の加島銀行を設立しますが、
銀行設立に向けて内部の意見は一致していたようですね。
ドラマでは加野銀行の設立に向けて難題も多そうですが、
あさがそれらを乗り越えていく姿が楽しみですね♪
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