あさが来た|なぜ加野屋や今井家は破産しなかった?山王寺屋との違い
朝ドラ『あさが来た』では、今井家のあさとはつの姉妹はともに
大阪の両替商の加野屋と山王寺屋に嫁いでいきました。
加野屋も山王寺屋も当時の大阪では有力な両替商。あさやはつは、
いわば商売敵とも言える家にそれぞれ嫁いでいきましたね。
しかし明治維新を迎えると、加野屋と山王寺屋は対照的な運命を辿ることになります。
加野屋は明治維新を何とか持ちこたえたのに対し、山王寺屋はあえなく破産、
没落していくことになります。
またあさとはつの実家の今井家も両替商だったのですが、
明治維新を機に大きくなっていきます。
同じ両替商でも三者三様の運命を辿るのですが、多くの両替商が没落したこの時期に
なぜ加野屋や今井家は破産しなかったのでしょうか?
山王寺屋との違いは何だったのでしょうか?
コンテンツ
加野屋が破産しなかった理由
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前の記事でも書きましたが、ドラマで明治維新の変革期に山王寺屋をはじめとする
多くの両替商が破産した原因は、
①幕府や諸藩に貸し付けていた莫大な金額の債権の焦げ付き
②銀目停止により庶民がパニックのように手形を換金したこと
の2点です。
※実際にはこれらに加えて明治6年に新政府が廃藩置県に伴う旧藩の債務を
帳消しにしたり、支払いの長期先延ばしにしたことも大きいです
ドラマでも描かれますが、加野屋も債権の焦げ付きによる損失や銀手形の
パニック的な換金により大きなダメージを受けます。
しかし加野屋はこの時代の変わり目に、
新たな事業に乗り出すことで危機を乗り越えます。
つまり旧来の両替商だけではやっていけないと判断し、新規事業に乗り出し、
いわば多角経営で収益を出そうとしたのです。
それを先導したのが、『あさが来た』のヒロインのあさ本人です。
なので、ここからがドラマの真骨頂と言ってもいいのかもしれません。
またドラマでは描かれるか不明ですが、加野屋の白岡正吉
(キャストは近藤正臣)にあたる人物(広岡正饒)が幕末期に
こっそり薩摩・長州などを支援していたことも大きかったようです。
逆に山王寺屋が破産してしまったには、旧来の両替商という商売に固執したことや
後の新政府となる薩摩や長州の諸藩を軽視していたことのように思われます。
加野屋はなかなかしたたかでエネルギッシュですね~
両替商とは無関係な炭鉱業を軌道に乗せ、その後は銀行や生命保険、
紡績業などに進出して利益をあげていくことになります。
しかし加野屋よりももっと上手がいました。それはあさの実家の今井家です。
今井家がさらなる発展を遂げた理由
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今井家は明治維新をバネに成長して、後に財閥となるまで発展していきました。
ドラマでも軽く描写があったように、今井家はいち早く江戸幕府を見限って、
薩摩らの新政府に接近し肩入れします。
そして明治政府成立後はいち早く政府の事業などを請け負い、
莫大な利益を上げることになります。
また政府の庇護をバックに銀行業や炭鉱業、海運業などにも進出し
一代財閥を築いていくことになります。
あさの父の忠興(キャストは升毅)はかなりのやり手ですね~
今後忠興が出世していく姿も描かれるでしょう。
このように明治維新を何とか切り抜けた加野屋や今井家ですが、
この時期に豪商として知られていた両替商は、実に10分の1にまで減ります。
つまり幕末の両替商は、90%が山王寺屋のように破産していったのです。
とすれば山王寺屋の惣兵衛(柄本佑)や栄達(辰巳琢郎)が暗愚だったわけではなく、
白岡正吉や今井忠興がかなりの先見の明を持っていたということでしょう。
このように従来の封建制が崩れ、社会のシステム自体が大きく変化する
明治初期。
そのような中で、加野屋や今井家知恵を振り絞って活路を見出そうと
するはずです。
そんな中にあって女性でありながらも、持ち前の超前向きな性格と
打たれ強さでお家のためにまい進するあさの姿言うまでもなく、
このドラマの大きな見どころとなるはずです。
ドラマであさや正吉、忠興が活躍する明治期が楽しみですね♪
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