あさが来た|あさが取立てした大名・宇奈山藩のモデルは?実話なの?
朝ドラ『あさが来た』では、あさ(波瑠)が加野屋の商売を手伝うことになります。
今までは普通の商家のお嫁さんのようにしていましたが、
好奇心旺盛なあさがこのままでいられるはずはありません。
商家の習わしにこだわる正吉(近藤正臣)を説得して、
加野屋の商いを手伝うことになりました。
まずあさがおこなったのは、諸藩への貸付金の回収です。
この頃、江戸幕府をはじめとする諸藩の財政は困窮し、軒並み両替商に借金をしていました。
当時は両替商が諸藩に融資するのは大名貸しといって、大きな収益源となっていました。
というのは大名は面子があるので支払いの猶予は求めても、踏み倒しなどはほとんどなく、
両替商にとっては安全な儲け口だったのです。
事実加野屋も諸藩から貸付金を回収しては、さらにこれを他の藩に貸し付けるということを
繰り返いしていました。
貸付金の額も膨大に膨れ上がり、その額900万両!
現在の金額にしてざっと4500億円に上りました。
そしてあさは五代才助(ディーン・フジオカ)らから「世の中が変わる」
ということを聞いていたので、すぐに諸藩の貸付金の回収をはじめます。
ドラマではあさははじめに目を付けた宇奈山藩の蔵屋敷にしつこいくらいに日参し、
嫌がらせに足軽部屋に押し込まれますが、そんなこと気にもしません。
結局、宇奈山藩側が根負けして貸付金の一部をあさに返済します。
いや~男尊女卑の時代に信じられないようなエピソードですが、
これは事実なのでしょうか? 宇奈山藩のモデルは何藩だったのでしょうか?
コンテンツ
宇奈山藩のモデルは?実話なの?
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あさが大名屋敷に直接赴いて貸付金を回収したエピソードは実話です。
あさのモデルとなった広岡浅子は、徳川幕府が倒れた場合の貸付金の焦げ付きを予想して、
全国の諸藩に直談判してその回収を図ったと言われています。
そして宇奈山藩のモデルになったのは、宇和島藩です。
現在の愛媛県に位置する宇和島藩に浅子が赴いた際には、嫌がらせに足軽部屋に
押し込まれましたが、最後は根負けして相手が貸付金を支払ったというエピソードが
残っています。
まさにドラマと同じ展開ですね。
ちなみのこの時期、加野屋のモデルの加島屋は次のような諸藩に
貸し付けをおこなっていました。
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加賀藩、尼崎藩、名古屋藩、津山藩、姫路藩、鯖江藩、明石藩、和歌山藩、
中津藩、越前藩、仙台藩、高崎藩、山口藩、浜松藩、福岡藩、古河藩、延岡藩、
岡崎藩、久留米藩、山形藩…などなどトータルで二百数十藩と言われています。
江戸時代の藩の数は270くらいと言われていますが、ほぼすべての藩に
貸し付けをおこなっていたことになりますね。
逆に言えば、それだけ大名貸しは両替商にとっては旨みのある商売だったと
いうことですね。
ちなみにこの浅子の判断や行動は吉と出ます。
明治4年(1871年)の廃藩置県によって、旧藩の債務を引き継いだ明治政府ですが、
その後実質的に踏み倒しともいえる政策をとります。
新政府も、旧徳川幕府側との戊辰戦争の戦費などの出費がかさみ、
その当時はお金がなかったのです。
とは言えこの明治政府の施策は多くの両替商たちの息の根を止める
ことになります。
財政難はわかりますけど、大阪の両替商たちは新たな日本の建設の陰で
犠牲になっていたのですね~
他の時代劇などでは巨額の蓄財をして悪の象徴のように描かれることもある
両替商ですが、その悲劇的な運命にはもはや言葉もありません。
そのような中、奇跡的に維新を生き抜いていく加島屋の姿には、
たくましさはもちろんのこと、すがすがしさすら感じます。
加島屋もすべての貸付金を回収できたとは思えませんが、
それにしても浅子の行動力は大したものですよね♪
このあたりはドラマでも描かれるでしょうから、楽しみですね!
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