あさが来た|やはり加野屋は加野炭鉱を売却して炭坑事業から撤退する!
朝ドラ『あさが来た』では、あさは女子大学校の設立に奔走し、
加野屋は生命保険会社を買収するなど、動きが加速します。
加野銀行の経営も良好であることから、加野屋の事業も順調に
伸びているようです。
そんな中、やはり加野屋は加野炭鉱を売却して、炭坑事業から撤退
することになります。
加野炭鉱と言えば経営が傾いていた加野屋が最初に手を出した事業で、
その成功は莫大な利益を加野屋にもたらしました。
その後加野銀行を開業し、生命保険業にも乗り出す加野屋ですが、
言うまでもなく加野炭鉱の収益があったからこそです。
加野屋の経営のV字回復の立役者でもあった加野炭鉱ですが、
あさは売却の決断を下すようです。
(明治30年ころの潤野炭鉱)
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やはり加野屋は加野炭鉱を売却して炭坑事業から撤退する!
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ドラマではあさが不景気が進む中、調子がいいうちに加野炭鉱を売却する提案を
栄三郎にして、加野炭鉱を売却するという流れになるようです。
これは史実の広岡家が潤野炭鉱を売却した経緯を参考にしていますが、
史実上はかなり大きな商機が訪れていました。
日清戦争で勝利した日本は清国から巨額の賠償金を得て、それを元手に
北九州に東洋一の製鉄所の八幡製鉄所を建設することが決まります。
製鉄には大量のコークス(石炭を燻したもの)が必要であり、それを確保するために
政府は周囲の優良炭鉱を買収しました。
その候補のひとつとなったのが、広岡家が経営していた潤野炭鉱です。
もちろん政府の徴用ですから買収金額も莫大で、一説には35万円という金額で
広岡家は潤野炭鉱を明治政府に売却したと言われています。
女子大学校の建設にかかる費用は当初30万円(現在の価値で約15億円)
と言われていましたから、潤野炭鉱の売却金額がいかに巨額であるものか
わかりますよね。
このような流れで広岡家は潤野炭鉱を売却し、炭坑事業からは撤退しています。
広岡家が潤野炭鉱の経営に関わったのはわずか12年間ですが、
その間加島屋の経営を立て直すほどの収益も挙げましたし、
最後も大きな利益をもたらしています。
まさに広岡家や加島屋を復活に導いたのは、潤野炭鉱と言っても
過言ではないでしょう。
広岡家が潤野炭鉱を売却したのは明治32年(1899年)のことでしたが、
結果的にはこの売却は吉と出ました。
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といいますのは、その後官営製鉄所二瀬炭鉱と名称を変更した潤野炭鉱でしたが、
大正2年(1913年)に死者・行方不明者合わせて101人という
ガス粉じん爆発事故を起こしています。
まさに大惨事となってしまった二瀬炭鉱の事故ですが、遺族への賠償金や補償金も
巨額だったと思われます。
もしこの当時広岡家や加島屋が経営していたら、その屋台骨さえ揺るがしかねない
出来事になったはずです。
犠牲者の方々にも申し訳ありませんが、加島屋にとっては上記のタイミングでの
潤野炭鉱の売却は結果的に正しかったようですね。
ドラマでは治郎作親分やカズ、福太郎といった個性豊かなキャラクターが揃った
加野炭鉱。
またけっこう炭鉱についてはじっくりと描かれましたから、
そこへ乗り込んで行ったあさを巡っても様々なエピソードがありました♪
さらには前述もしましたが、ここまで加野屋の経営を立て直し、
現在のように銀行や生命保険会社などの多角経営を可能にしたのも、
すべては加野炭鉱の収益のお陰です。
もう長いことドラマで炭鉱が描かれることはありませんでしたが、
正式に加野屋が売却してしまうというのはちょっと淋しい気もしますね。
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