あさが来た|白岡新次郎の死後のあさのその後は?史実の広岡浅子は?
朝ドラ『あさが来た』では、いよいよ白岡新次郎の余命もいくばくと
なってきました。
ドラマでは新次郎の病名などは明かされませんが、
主治医の大塚の話ではかなり悪いようですね。
新次郎がもう長くはないことが、ドラマ内でも初めて示唆されました。
ドラマの残りを考えると、新次郎の死が『あさが来た』のクライマックスと
なるでしょうが、その後のあさは描かれるのでしょうか?
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白岡新次郎の死後のあさのその後は?史実の広岡浅子は?
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ドラマでは明治37年(1904年)に白岡新次郎は亡くなってしまいますが、
その後は一気に時が6年も流れてしまうようです。
恐らく新次郎の死は最終回の前の回でしょうから、最終回は猛スピードで
あさの後日譚が描かれることになりそうです。
そのためどうやら新次郎の死後にしっかりと描かれそうなのは、
あさが主宰することになる勉強会だけのようです。
まぁ~このドラマの大きなテーマは「夫婦愛」ですから、
その総決算と言うべきが新次郎の死です。
なので尺の関係もあり、新次郎の死後のあさについては
ほとんど描かれることはないようです。
で、リアルの広岡浅子はどうかといえば、夫の広岡信五郎の死は
人生の第2章の幕開けとなりました。
広岡浅子の場合
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史実の広岡浅子は信五郎の死をきっかけに、実業家を引退し、
自分の楽しみのために生きることを決意します。
ドラマではあさは新次郎の看病をするために実業家を引退するという
流れですが、このあたりは史実とは微妙に異なります。
また浅子の「自分の楽しみ」というのはのんびりしたり、
遊んだりすることではありませんでした。
中でもすぐに取り組んだことは、学問です。
実業家を引退した後に、浅子は頻繁に上京して、日本女子大学校を
訪れています。
そこで浅子は様々な講義に出席したり、図書館で読書に耽ったりと、
若い時にしたくてもできなかった勉強に熱心に取り組みました。
またこの時期には浅子にはエッセーや評論などの執筆の依頼が殺到していた
ことから、執筆活動も積極的におこなっていました。
そして、女性の学問についてや女性の自立に関するテーマについての執筆が
多かったようです。
さらに浅子はこの時期に愛国婦人会に入会します。
愛国婦人会は当時の有力な女性団体で、主に戦没者の遺族の救済活動などを
していました。
やはり超積極的な浅子ですから、自らが行動して社会貢献をする道を
選んだのですね~
ただし、愛国婦人会の運営はお金持ちの婦人たちの寄付により賄われており、
集会なども高級サロンのような趣であったことから、浅子とはあまり
ソリが合わなかったようです。
このように信五郎の死をきっかけに、浅子は残りの人生を社会貢献に
捧げることを決意するのでした。
ドラマではこのあたりはしっかりと描かれないようですが、
その後の女子教育や女性の地位の向上を図る浅子の活動の原点というべき出来事が、
信五郎の死だったのです。
浅子は信五郎が亡くなった15年後に亡くなることになりますが、
その間におこなったのはもっぱら社会貢献のための活動です。
このあたりはまさに広岡浅子の偉大さともいえる点ではないでしょうか?
女性実業家としての功績もさることながら、死の直前まで社会に尽くしてきた
浅子のスタンスは非常に立派です。
単にお金を出すことだけではなく、自ら動いてそれらを実現したという点も
魅力的ですね~ただのお金持ちのおばさんではなかったのです。
思うにこれだけのことを成し遂げてきた広岡浅子という人物に、
これまであまりスポットライトが当てられなかったことは信じられませんね。
このような人物が歴史の間に埋もれてしまうなんてとても残念なことですが、
今回の朝ドラ『あさが来た』によって、浅子の偉業も広く知られることになった
のは嬉しいですね♪
その意味でも製作陣やスタッフ、そして魅力的な登場人物たちをしっかりと
演じてくれた役者さんたちにも感謝です!
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