あさが来た|加野屋・白岡新次郎のモデルは?本当に道楽者だった?
NHKの朝ドラ『あさが来た』 ヒロインの今井あさ(波瑠)は
幼少から大阪の両替商加野屋を経営する白岡家の次男・新次郎(玉木宏)の
嫁になることが決まっていました。
あさと新次郎の年の差は8つ。あさは17歳で加野屋に嫁ぎますから、
新次郎は結婚当時25歳ということになりますね。
この新次郎は家業には興味を示さず、趣味の三味線やお茶に精を出すという道楽者。
当初は嫁に来たあさも、その道楽ぶりに呆れます。
明治維新の動乱期に加野屋の経営が傾いた際にも、諸藩の貸付金を回収したり、
銀目の廃止で預入金を回収しようとする人々が殺到しても、対応するのはすべてあさでした。
『あさが来た』でも新次郎は筋金入り道楽者として描かれるでしょうが、
この新次郎のモデルは誰なのでしょうか?
本当に道楽者だったのでしょうか?
コンテンツ
白岡新次郎のモデルは誰?
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白岡新次郎のモデルは実在の人物で、広岡信五郎です。
大阪の両替商で豪商の加島屋(加野屋のモデル)の次男。
(晩年の広岡信五郎)
分家に養子に出されていたのですが、跡継ぎの長男が病死。
家督を継ぐ三男が成人するまでの後見人として、再び広岡家に呼び戻されます。
このような経緯もあり家督を継がない予定だったので、信五郎は商売よりも
趣味の三味線や茶道に精を出します。リアルでも信五郎は道楽者だったのですね。
ですが信五郎は、夫に代わって加島屋の立て直しに奔走する
妻の浅子(今井あさのモデル)を献身的にサポートします。
また信五郎は道楽者ではありましたが、人付き合いもよく誰からも好かれる性格。
そのため遊び仲間から、商売に関する貴重な情報を得ることもありました。
たとえば浅子が経営に乗り出した炭鉱の情報も、元はと言えば
信五郎が仲間から聞いた情報がベースになっています。
さらには信五郎の父・8代目加島屋久右衛門が引退するとそれなりに自覚を持ちはじめ、
弟で加島屋の跡継ぎの広岡正秋とともにより積極的に加島屋の経営にも参加するようになります。
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そして「紡績業がいい」と聞きつけると、三味線仲間とともに
紡績会社「尼崎紡績」を立ち上げ、実業家としても成功を収めます。
ちなみにこの「尼崎紡績」は現在のユニチカで、信五郎は初代社長の座につきました。
その後も、浅子が中心となって設立した加島銀行の頭取や大同生命の副社長を務めるなど、
実業家としてのキャリアを重ねていきます。
しかも、時代は男尊女卑の風潮が当たり前の頃。
それにも関わらず信五郎は心の底から浅子を信頼していましたし、
商いについては「先輩格」である浅子の意見をよく聞いたといいます。
信五郎のような夫がいたからこそ、浅子も実業家として活躍できたのかもしれませんね♪
当時のたいていの商家では、女が商いに関わることを禁じていました。
しかし経営が傾いていた加島屋では跡取りが若すぎた上に、
その後見人の信五郎がこのような道楽者だったことから、
必然的に嫁の浅子が商売に関わらざるを得ない状況です。
こんな土壌もあったことから、「女傑」と尊敬され女性実業家の先駆けになった
広岡浅子が誕生したのでしょう。
浅子の夫が勤勉な人物だったら、
浅子もここまで成功することはなかったように思われます。
一般的に夫が道楽者というのは困りものですが、この夫婦の場合には案外これで
バランスがとれていたのでしょうね♪
このように感じの広岡信五郎でしたが、彼をモチーフにした新次郎の
あさに対する優しさや愛情の深さは、このドラマの大きなポイントになると思います。
時は男尊女卑がまかり通っていた明治時代。
女性が家業に首を突っ込むなど考えられないことでした。
しかし新次郎は道楽者ながら、あさに愛情を注ぎ、あさを陰ながら支えます。
そんな新次郎の姿には時代は違えど、確かな夫婦愛の形を見出すことが
できるはずです。
そのあたりも注目してドラマを見ていきたいですね♪
ドラマでも今井あさが女性実業家として成長していく様が描かれますが、
それと併せて夫の白岡新次郎の道楽ぶりも楽しみたいものですね♪
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