あさが来た|あさが行く蔵野炭鉱!こんなに過酷だった当時の炭鉱労働
朝ドラ『あさが来た』では、あさはいよいよ買収した
蔵野炭鉱へと向かうことになります。
鉱山経営は石炭事業は、加野屋の命運を賭けた社業です。
これを勧めてきたあさにとって、失敗は許されません。
当時は石炭の需要が飛躍的に高まっていたことから、
炭鉱に目を付けた実業家は少なくありませんでした。
しかしほとんどがこれに乗り出すことができなかったのは、
やはり炭鉱経営はリスクや危険が高かったのです。
それを素人でなおかつ女性のあさが取り仕切るというのは、
当時の常識としては信じられないことでした。
『あさが来た』では、ここからが前半の見どころになります。
九分九厘成功しないと言われていた、加野屋の炭鉱経営を
あさが様々な困難を乗り越えて実現する奇跡が描かれます。
あさは蔵野炭鉱(後の加野炭鉱)に乗り込んで、炭鉱夫たちと寝食をともにしながら、
陣頭指揮をとることになります。
ところで当時の炭鉱での労働は、どのようなものだったのでしょうか?
それは驚くほど過酷でした!
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当時の炭鉱での労働は?
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明治初期の炭鉱労働はといえば、言うまでもなく機械などはありませんから
つるはしなどで採炭作業をおこなう手掘りでした。
固い石炭を掘るのも大変でしたが、掘り出した石炭を坑外に上げる作業も非常に重労働で、
石炭籠に入れて背負ったり、腰にひもをつけて引いたりして坑外に搬出していました。
当時の労働時間は ほぼ12時間労働制。それを2交代にして昼夜問わず、
採炭している炭鉱もあったほどです。
ただでさえ重労働ですが、それを1日12時間も続けたなんて、
かなり過酷であることがわかりますよね?
当時はこのような炭鉱で採掘された石炭が日本の産業の支えとなり、
国は豊かになっていきます。
しかしその陰でには多くの炭鉱労働者の重労働があったのです。
まさに彼らの働きが明治の日本を作ったといっても言い過ぎではないと思います。
しかも当時の炭鉱は、炭鉱夫たちの賃金を出来高制で支払っていたところが多く、
そのため一家や夫婦で坑道に入るものも多かったといいます。
ドラマでも女性坑夫も描かれますが、1933年(昭和8年)に
女性の炭鉱での労働が禁止されるまでは多くの女性も炭鉱で就業していました。
女性のあさが炭鉱に乗り込みますが、女性存在自体は珍しいわけではありませんでした。
(女性が炭鉱の陣頭指揮をすることが皆無だったのです)
こちらもドラマで描かれますが、当時の炭鉱夫たちは飯場主(はんばぬし)
といった親分たちに搾取されており、賃金の割には貧しい者も多かったと言います。
本当に荒くれものたちの職場だったの?
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昭和5年に禁止されるまで、炭鉱の主な労働力には
囚人が使われていました。
やはり炭鉱は危険でなおかつ重労働ですから、
なかなか十分な労働力を確保することは難しかったようです。
明治の中頃では炭鉱で働く労働者のうち、約7割が囚人だったと
言われています。
またそれ以外にも、流れ者や浮浪者たちも多く就業していました。
やはり即金性があり、人手不足から審査も緩い炭鉱はそういう人々には
魅力の職場だったのです。
そのためか、炭鉱では事故などのほか、変死なども少なくなかったようです。
ドラマでも五代友厚があさにピストルを渡しますが、
やはり当時の炭鉱は相当危険だったようですね。
またあさの父親の今井忠興も、炭鉱経営にはしっかりした男の頭領が必要と
言っていましたが、荒くれ者が多い炭鉱夫たちをコントロールできるかも
炭鉱経営には欠かせないことだったのでしょう。
それにも関わらず、まだ20歳ちょっとのあさは蔵野炭鉱を最終的には
優良炭鉱化します。
このあさの活躍は目が離せませんよね♪
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