とと姉ちゃん|ドラマでは描かれない大橋鎭子や暮しの手帖のその後
朝ドラ『とと姉ちゃん』は、いよいよ半年にわたる放送の
フィナーレを迎えます。
ドラマのクライマックスは、ヒロイン常子と長年にわたり
「あなたの暮し」でタッグを組んできた編集長の花山伊佐次の死。
そして最終回はその功績が認められて出版界の賞を受賞し、
その晩の夢の中で亡き父の竹蔵と再会するという流れです。
そしてドラマでのこれらのエピソードは昭和49年(1974年)
となりますが、リアルの大橋鎭子や「暮しの手帖」のその後は
どうだったのでしょうか?
コンテンツ
ドラマでは描かれない大橋鎭子や暮しの手帖のその後
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まず前提として昭和49年の段階では、「暮しの手帖」の初代編集長だった
花森安治は亡くなっていません。
それどころかドラマの君子のモデルの大橋久子も健在でした。
当時の同誌の発行部数は約80万部で、東京オリンピックが開催された
昭和39年(1964年)から安定期に入っており部数も横ばいでした。
この年には昭和21年(1946年)に前身の衣装研究所の創業以来の本社ビル
(銀座日吉ビル)が取り壊しとなり、同社の本社が六本木に移転しています。
翌年には大橋鎭子の人気連載だった「すてきなあなたに」
(ドラマの「小さなしあわせ」のモデル)が単行本化され、
ロングセラーとなります。
そして昭和50年代に入ると同誌は黄金期を迎え、昭和50年(1975年)には
発行部数が87万部、52年には90万部と伸びることになります。
しかしそんな中、昭和53年(1978年)の1月14日に、初代編集長の
花森安治が心筋梗塞で逝去して、同誌は大黒柱を失うことになります。
その後は鎭子が社長兼編集長に就任しますが、まさに淡々と
花森の精神を引き継いだといった感じで、雑誌の内容にさほど大きな変化は
見られませんでした。
そんな中、鎭子の母親の久子が昭和57年(1982年)に82歳で永眠します。
その頃になると鎭子は書籍の装丁も手掛けるようになります。
また昭和59年(1984年)には再びの戦争特集「戦争は悲しい」を組んで
反響を呼びますが、1980年代に入ると新興の雑誌に押されて
発行部数が減少していきます。
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平成の世になってもこの傾向は変わらずに苦戦が続きますが、
平成6年(1994年)には前記の「すてきなあなたに」が
読者に静かな共感と深い感動を呼び起こしたとして東京都文化賞を受賞します。
2000年代に入ると発行部数はかなり減少したようで、
鎭子は平成16年(2004年)に現場を引退して社主に就任します。
そして平成19年(2007年)に編集長の書籍商で文筆家だった
松浦弥太郎氏を抜擢し、同誌の大幅な改革を断行します。
雑誌は現代的なテイストを取り入れ若年層の読者にアピールしますが、
名物企画だった「商品テスト」も中止となりました。
鎭子は平成22年(2010年)に90歳にして自伝「暮しの手帖とわたし」
を刊行しますが、平成25年3月23日に93歳で永眠。
翌年には妹の芳子が89歳で亡くなります。
松浦氏は平成27年(2015年)の3世紀79号まで編集長を務めましたが、
沢田康彦氏に交代して現在に至ります。
沢田氏は雑誌「BLUTUS」などを手掛けた人物で、「暮しの手帖」に
政治的な記事を導入するなどの改革をおこなっています。
ちなみに沢田氏の奥さんは、NHKの朝ドラ「まれ」にも出演していた
女優の本上まなみさんです。
「暮しの手帖」は花森安治や大橋鎭子の死を経験しましたが、
現在も健在です。
また雑誌離れが進んでいる中にあって、今でも広告を掲載しないという
伝統的なスタンスを守り続けています。
商品テストなどこれまで多くの良質の記事を提供し、庶民の暮しや
日本製の商品の性能の向上にまで貢献した同誌には、末永く頑張ってほしいものです。
最後に鎭子の自伝「暮しの手帖とわたし」の最後の文章をご紹介します。
鎭子は続編も刊行しようとしたようですが、それは叶いませんでした。
「私は今八十九歳です。ここまで一気に私の子ども時代、暮しの手帖を始めて花森さんが亡くなるまでのことを振り返って書いてきましたが、やはり、これ以上の話をすることに少し疲れを感じます。少しお休みして、できれば花森さん亡きあとの私のことも書きたいと思っています。聞いていただきたいお話がけっこうあります。それではまた近いうちにお会いしたく存じます。ありがとうございました」
(暮しの手帖とわたしから引用)
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そうですか、ドラマと実際の話は結構違うのですね。
ドラマでは君子さんがすぐに亡くなってしまい、とても悲しみました。でも、それのおかげで感動的な親子を観ることが出来ました。
ドラマでは細かく描かれていない花山さんの後の様子、心配になっていました。常子が黙々と続けていたと分かり、ひと安心です。
けれど、編集者が誰になったのかは本当に分からないので、勝手にたまきがなったと考えています。
歴ドラさんは何か意見ありますか?
長文&乱文すみません。
ラブターン!様
そうなんですよ~ドラマの最後のほうは史実と時系列がだいぶ異なります。
とは言え、かなりまとまっていたのでそれはそれでいいと思います。
ドラマでは最後のシーンに昭和63年を持ち出して、常子が相変わらず走り回る様子
が描かれましたが、細かいこと抜きにして「あなたの暮し」も常子も健在という
製作側のメッセージだったと思いますよ♪
なるほど、そうですね。
製作者側も、苦労してこういう風にしたのですね。常子の走り回るシーン、なぜか懐かしく感じたのですが、それは今まで花山がいた頃の面影が残っていたからではないでしょうか。
長文&乱文すみません。
ラブターン!様
まぁ~わたしの完全な個人的な見解ですがw
ですがおっしゃる通り、花山や常子が苦労して道を切り拓いた描写があったこそ
というのは確かでしょうね~その積み重ねがあったからこそ、ラストの爽快感
につながったと思いますv