あさが来た|柏原収史の大久保一蔵と五代才助は本当に交流があったの?
朝ドラ『あさが来た』では、ドラマを通じて準主役的な五代才助
(ディーン・フジオカ)が登場しました。
才助は山王寺屋に藩命を受けて借金に行ったところ、
惣兵衛(柄本佑)ににべもなく断られ、大久保一蔵にグチをこぼしていましたね。
この大久保一蔵を演じたのは柏原収史さん。前々作の朝ドラ『マッサン』でも
海軍士官役を演じて、出番は少ないながらも存在感が光る演技をしていましたね。
ところでこの柏原収史さんが演じた大久保一蔵は、後の大久保利通です。
大久保利通と言えば、歴史の教科書には必ず出てくる幕末の偉人です。
幕末には倒幕派の中心的な人物のひとりでしたし、明治政府成立後は
廃藩置県などの大きな施策を実施した人物です。
そんな大久保利通は、『あさが来た』でヒロインのあさ(波瑠)の師匠的な存在の
五代才助と本当に交流があったのでしょうか?
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大久保利通と五代才助の接点は? 本当に交流があったの?
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五代才助(後の友厚)は、まさに実在の人物でフィクションではありません。
また、リアルでも才助は大久保利通とは盟友関係にありました。
ともに薩摩藩出身で倒幕派。才助も利通や西郷隆盛などともに、
徳川幕府の倒幕に貢献します。
そのため『あさが来た』で描かれる五代才助と大久保一蔵の交流シーンなどは、
何ら史実に反することはないのです。
(大久保利通)
ちなみに年齢は利通のほうが6つ上。ドラマで描かれた当時は利通が30歳前後で、
才助が20代半ばのころです。
明治維新後わずか2年で中央官庁を辞して、大阪の復興のために下野した才助は、
事あるごとに大久保利通に中央官庁への復職を持ち掛けられます。
非常に優秀でありながら外国の事情にも明るい才助は、盟友の利通にとっては
明治政府になくてはならない人物と思えたのでしょう。
それにも関わらず才助は首をタテに振らずに、大阪の復興に力を注ぎます。
このように才助が他の官僚とは異なり、独自の路線を進んだので、
ドラマのヒロインのあさとも接点が生まれたのですね。
ところで明治維新に貢献し、明治政府が生まれた後も要職を歴任した
大久保利通ですが、明治11年(1878年)5月14日に紀尾井坂の変で
47歳の若さで暗殺されてしまいます。
盟友だった才助の悲しみはそれは深いものだったのでしょうね…
その才助も利通の死から7年後の明治18年(1885年)に49歳の若さで
病没しています。
才助も利通も大志半ばで亡くなってしまいます。近代日本のためには、
ふたりにはもう少し長生きしていてほしかったのですが…
ドラマでは利通の登場シーンはそう多くはありませんが、
こんなふたりのバイタリティーに満ち溢れた若き日が描かれることでしょう♪
そして才助にしろ、利通にしろ私利私欲がなく、一途に日本の発展を願い
それに人生を捧げた人物です。
まさに偉人であるこのふたりの生き方は、ドラマの隠れた見どころとなる
に間違いないと思います。
さらにはこのふたりの人物から主人公のあさも多大な影響を受けるでしょうから、
その成長ぶりにも着目していきたいと思います。
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