あさが来た|広岡浅子はナイフで刺されていた!万屋襲撃事件とは?
朝ドラ『あさが来た』では、あさの努力の甲斐もあって
炭鉱事業が軌道に乗りはじめます。
そして加野屋の当主・正吉も引退し、三男の栄三郎が家督を継ぐことになりました。
いよいよ加野屋の経営はあさや栄三郎、新次郎と次の世代に任されることになります。
そしてこの後、加野屋は史実の加島屋と同様に銀行、生命保険会社、
紡績会社などを経営し、多角化の道を行くことになりそうですね。
そしてあさも、女実業家への道を本格的に歩むことになります。
ところであさのモデルとなった広岡浅子は、なんと
ナイフで刺される襲撃事件に遭っています。
しかもそれによって、生死の境を彷徨うような重傷を負うという
ショッキングなものでした。
これは浅子を逆恨みしていた万屋(よろずや)によっておこされた事件ですが、
こちらをご紹介していきます。
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広岡浅子はナイフで刺されていた!万屋襲撃事件とは?
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この万屋の襲撃事件があったのは、1902年(明治35年)。
この頃の加島屋(加野屋のモデル)は既に経営していた潤野炭鉱を
政府に売却しており、収益の大半は加島銀行があげていた頃です。
万屋は加島屋と同じく両替商で近所で店を出していましたが、
明治維新の変革に対応できずに倒産してしまいました。
その万屋は加島銀行の浅子を訪ね、再起するための資金の融資を願い出ます。
ところが万屋の事業計画自体が非常にずさんなものだったので、
浅子はこれを却下して万屋に融資をおこないませんでした。
その後、万屋は再び融資を浅子に願いますが、やはり浅子は拒否しています。
実は万屋は両替商時代に加島屋の得意先を奪おうとして中傷したこともあり、
単なる同業者というよりも悪徳系の商売敵といった感じです。
しかも融資を求めた当時の万屋はアル中気味で、酒を飲ませろと暴れたりもします。
まぁ~こんな人にはお金を貸すことはできませんよね~
浅子も万屋の人間性を見切って、最後は塩をまいて追い返しています。
この件で万屋は浅子を恨み、近所の公会堂でおこなわれた講演会の
帰り道の浅子をナイフで脇腹を刺します。
これにより浅子は出血多量で生死の境を彷徨います。
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損傷の大きかった腸をほとんど切り取るなどの大手術の末、
何とか一命は取留めすますが、予断を許さない状況が一週間も
続いたようです。
いや~実にショッキングな事件ですね…
でもこの広岡浅子は非常に丈夫で強運の持ち主です。
ドラマでは描かれなかったものの、浅子も若いころに
加野屋の正太郎の死因となった結核を患ったものの完治。
現在でも命取りになる重度の乳がん も克服しますから、
非常に体は強かったのですね~さすが女だてらに炭鉱に乗り込んだりした人です。
ところでこの万屋の浅子の襲撃事件ですが、今のところ原作本の「土佐堀川」
の記載のみで、他のメディアもこの本の内容を抜粋として取り上げています。
もしかしたら史実とは詳細が異なるかもしれませんが、
このあたりは引き続き調査していきます。
※追記
万屋の襲撃事件はどうやら「土佐堀川」オリジナルの創作のようです。
このように万屋の襲撃事件は浅子の人生最大の危機といってもいいほどの
ピンチとなります。
ところが原作本では生命の危機に瀕した浅子ですが、これが大きなきっかけとなり
生命保険会社の設立に取組みます。
転んでもただでは起きない浅子は、まさに座右の銘でもある
「九転十起」を実践したのですね♪
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