あさが来た|瀬戸康史がキャストの成澤泉のモデルは成瀬仁蔵!生涯は?

 

先日発表された『あさが来た』の追加キャストで、

瀬戸康史さんが成澤泉を演じることが発表されました。

 

瀬戸さんといえば「仮面ライダー」でも知られるイケメン俳優。

 

ドラマの後半での最重要人物のひとりの成澤泉を、

どのように演じるかも楽しみなところですね~

 

そして、成澤泉のモデルとなっているのは成瀬仁蔵

 

史実の広岡浅子も設立に尽力した日本女子大学の創立者で、

初代校長となった人物です。

 

日本初の女子大学の設立は浅子の終盤の大仕事です。

 

その浅子に女子の高等教育機関の必要性を説いて、

女子大の設立へと動かした人物が仁蔵です。

 

そんな成澤泉のモデルとなった成瀬仁蔵の生涯を、簡単にまとめてみました。

 

成瀬仁蔵

(成瀬仁蔵)

 

コンテンツ

成澤泉のモデル成瀬仁蔵の生涯

 

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成瀬仁蔵は1858年8月2日生れで、広岡浅子よりも9歳年下です。

 

山口師範学校(現在の山口大学)を卒業し、小学校の教員をしていました。

 

その後アメリカ留学を経てキリスト教(プロテスタント)に入信。

大阪の梅花女学校(現在の梅花学園)で教鞭をとりました。

 

大きな転機となったのが、1890年(明治23年)の二度目のアメリカ留学です。

 

ここで神学校や大学で学びながら女子教育施設を視察、研究。

当時は非常に遅れていた日本の女子教育の必要性を痛感します。

 

帰国後に梅花女学校の校長を務める傍ら、かの有名な著書「女子教育」

出版して世に出します。

 

この女子教育では

一に女子を人として教育すること、

二に女子を夫人として教育すること、

三に女子を国民として教育すること

 

という方針を示し、女子教育の必要性を説きました。

 

当時はまだまだ女子に教育は不要との考えも多かった時代。

帝国大学なども、事実上女子の入学を認めていませんでした。

 

そしてこの「女子教育」に非常に感銘を受けたのが、

ドラマのあさのモデルの広岡浅子です。

 

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浅子は自身が学びたくても学べなかった少女期の想いやかねてから

商いで得た利益の社会還元を考えていました。

 

一方の成瀬仁蔵は高い理想を持ちながらも、肝心のお金がありません。

そこで日本初の女子大学の設立を浅子に要請しました。

 

浅子はこれを快諾して、実家の三井家(当時は既に三井財閥)から

土地の寄贈などを取り付けて、日本初の女子大・日本女子大学校の設立に尽力しました。

 

1901年(明治34年)の同大の設立時には、成瀬が初代校長に就任し、

浅子は大学の評議員に就きました。

 

まさに成瀬仁蔵にとって、日本女子大学校の設立はライフワークそのものです。

 

それを実現できたのも、既に大物実業家として知られていた浅子の人脈です。

 

実家の三井家の他にも、大隈重信や伊藤博文、西園寺公望や渋沢栄一、

岩崎弥之助といった政財界の大物たちからの多大な支援を取り付けました。

 

まさに成瀬の理想と浅子の賛同・助力がこの女子大学を設立させましたし、

日本の女子教育を前進させたと言っても言い過ぎではありませんね♪

 

ドラマでも女子大学校設立は後半戦の重要なエピソードになると思います。

あさも成澤泉とともに女子教育の向上を願っ苦労して女子大学校を

設立する運びなるはずです。

 

瀬戸康文さんの成澤泉と波瑠さんのあさが、女子大の設立のために

東奔西走する姿が描かれるでしょう。

 

けっこう先の話になりますが、このコンビにも注目したいですね!

 

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